ノールビンドニング - 今までに作った針 -
個人的に、「編み物をやるひとは、指の関節を使って糸を抑える独特の動きをする」とずっと思っていたんだけど(母がそうだった)、ここ数日まさに自分もそののような手の動きをするようになってきて「俺もいっぱしの風を吹かせるようになってきたか…」と感慨深いところだけど。
だいたいこのくらいの、ちょっとこなれて生意気な感じになってきたところで大きな失敗をするものだよね。慢心とか!
気を付けないと!
希望こそがパンドラの最後の厄災、という話もあるしな!
と、そんな感じでノールビンドニングに大変にハマっているんだけど(Twitterでほぼこの話しか最近はしていない!すまない!)、ちょっとここらで今までに自分が作った針をまとめてみようと思う。
雑多に作ってたつもりだけど、案外、いくつかの傾向にわかれていることが分かって興味深かった。自分のたどった道をあとから見直すのにはこういう楽しみがあるよね。職歴なんかでも、フラフラしてると思ってたけど実は一定の傾向があった、とか。まさに俺なんだけども。
現時点で12本針を作っていて、冒頭の画像がそのうちの10本。残りの2本はちょっと別の場所にあるので写真にはないんだけど。
デザインバリエーションごとに見事に長短二本ずつになっていて面白かった。
右からひし形、柳葉型、三角形型、ひし形のカリン、直線型。実質四種類。「○○型」というのは自分が勝手につけた名前なので、実際そういう呼称はないとおもう。
以下、それぞれの解説。と言うほどたいそうなものでもないけれど。
ひし形
これが自分の中での最新型。
後述する柳葉型や三角形型だと、針のお尻が手のひらに当たるときに意外と痛かったので、お尻を丸くしたひし形が生まれた。これで長時間縫っていてもそんなに痛くない。
長い針だとどうしても、針のお尻を手のひらで押し込む動きになるので。
左の短針(といっても10cmある)は特に使いやすくて、糸が長い時は二つの穴でまとめ、短くなってきたら上のほうの穴に通してさらに短い針として使うという使い方ができる。これはお気に入り。
多分今後特に問題がなければ、この型を作っていくことになると思う。
曲がった針なんかも作ってみたいけれどね。
こちらはひし形のカリンバージョン。
奥の長針はカリンらしい、美しい赤い色なんだけど、こう、手前の短針の色が悪すぎる…。
というのも、これは「カリンの白太を組み込んで、白と赤とのコントラストを綺麗に見せよう」という野心を抱いて制作したものの…見事に色の悪い白太にぶち当たって、結果、ちょっと汚いかんじに…。でも実物は写真より綺麗だし、愛着もてるよ!形もいいし!適度な重さが集中力を増してくれるし!
しかしこの短針をメルカリに出品してみたら、全く顧みられなかった。多分今も漂ってる。
…価格設定が強気過ぎたのだろうか。
でもカリンだぜ!?グラムいくらで取引される高級材だぜ!?
…だめか!改定するか!
奥にある長針は、今まで自分が作った中でも最長。18cmもある。
こんなに長いのに全くたわまないというのが高級材たるカリンのパワーなんだけど、いかんせん長すぎた。
針作りをしていて気がついたのは、どんなに長くても「親指と人差し指でL字を作った時の指先の距離」の長さを超えちゃうと、途端に使い勝手が悪くなるということ。昔の言い方で言えば「一咫(ひとあた)」。ちなみに箸の長さは一咫の1.5倍が適正。
自分の場合は一咫は16cmなので、18cmは手に余るということだと思う。17cmでも結構持て余し気味だった。
なのでこれはそのうち短く削る予定。
柳葉型
短針は微妙で、長針は一番使っているお気に入り。
短針は一番最初に作ったものなんだけど、これがすごく使いにくい。先端から急に太くなるので、糸が拾いにくいのなんのって。特に筒状に編んでいくときにストレスが溜まってしまう。
一方で長針は極めて使いやすい。短針の反省から、先端を思い切り尖らせたのが奏功して、もう本当に使いやすい。すいすい縫える。
が、お尻が手のひらに当たってちょっと痛い…!
まぁそれでもずっと使っているから(使いやすいからね!)、そんなに気にするほどのものでもないということかもしれないけど。
短針はそのうちもう少しとがらせる予定。
長針は穴がすっごい雑。
でも使う。使いやすいから!
三角形型
最初期に作ったうちの一つ。
ソノケリンを使うのなら、ソリッドかつアーバンでモダンな装いの中にふと頬に感じるクラシカルなそよ風を備えたこの形にするしかないな…!
とか変なことを考えながら作っていた針。
直線の中に配される円形が、硬質な社会に己を調律しつつもその心の中では古のロマンを希求する私たちを象徴した作品。
ということを今考えました。
ハイソサエティな文言を考えるのって結構難しいね!
短針はこれまで制作した中で最も短い。8cm。糸が短くなってきたときにこれに取り換えると楽に縫える。と思う。長針は俺には今一つ足りない長さだけど、多分女性にはちょうどいい長さなんだと思う。12cm。
注意点としては、あまりきつく縫いすぎると針のお尻を通すときに大変なので、そのフォルムに反してふわっと柔らかく包み込むように縫っていくといいんじゃないでしょうか。
鋭いナイフにも…優しさが必要なのかもしれないぜ…!
はい。
直線型
一番大好きな針。
この赤さ!
美しい!
特に短針。これがもう最高に、本当に大好きな針!
木材を使う時は、削ってみないとどういう木目なのかが分からない。それが醍醐味でもあるんだけど、この短針はもう、本当に綺麗でね!写真でもわかると思うけど、光が当たると乱反射する部分があるの。これがもう好きで好きで。手に持った時の感触も最高。適度な厚さ、強さ、幅、これ以上しっくりくるものはないってくらいにうまくできた。
んだけれども。
細すぎた!そしてもう少し長さがほしかった!
あまりに細くて、穴が直径3mmしかない。だから糸を通すときに辛い。
作品としては良くできていても、道具としては今一つという悲しみ。
見て触っているだけなら申し分ないんだけどね。一応、限界まで穴を広げたんだけど、それでもやっぱり並太の毛糸を通すのがやっとかな。
長身は、この短針の夢をあきらめられなくて作ったロングバージョン。
でも残念ながら、短針にあったような美しい木目は現れてくれなかった。
それでも十二分に美しいし(なんせカリンだからね!)、強度も触ったかんじも十分。穴も4.5mmまであるから何を通しても大丈夫。この長針は実は今日作ったばかりなんだけど、多分これからこの針がメインになっていくと思う。
以上
今までに作った針の紹介をしてみた!
読んでくれた人の何かのヒントになれば幸いです!
Pinterestなんかを見ていると、曲がった針や特殊な材質を使った張り、いっそ清々しいほどに適当なつくりの針なんかがたくさんあって、上記のようなかしこまったかんじの針以外のものも作ってみたいなという欲求がふつふつと。
とりあえず、針にルーン文字は入れたいよね…!
ノールビンドニング - ポットカバーの完成と、最初の20時間の終わり -
「全くやったことのないものでも、20時間練習したらかなり上手くなれる」
という説に感化されて始めたノールビンドニング。
20時間が昨日、終わった。
やっていくうちに自分との相性がとても良いことが分かってきたので、ほとんどつまづくことなくここまで来れたといっていいと思う。
実際のところ、20時間のうちの殆どはひたすら縫っていくという反復の時間だったんだけど、途中でミスをしてそのリカバリー方法を見つけたり、増し目減らし目の理屈を体で覚えたり、先生に様々なことを教わったりと、要所で次のステップに進めることができたので、この20時間は学習としてかなり濃い内容だったと思っている。
「何か始めよう」と思い立ったその日にテキストが発売され、使用する針を自分は作ることができ、ちょうど慣れ始めたところでワークショップに参加することができたという、タイミングと要素が全部噛み合っていたのが大きいかな。おまけに、大雑把でも大丈夫だという勇気を分けてもらったし。
まだあまり大きいことは言えないけど、長く付き合っていく趣味になればいいなと思う。
というところで、この20時間を成果はこれ!Twitterではもう出した写真だけど!
ポットカバー!
割とそれっぽいのができているでしょ。
実は最初、「ポットカバーを作ろう」とは全く思ってなくて、ただなんとなく増し目減らし目の練習をしていて「あぁ、こうすれば円錐形になるんだなぁ」とチクチクやっていただけだったんだけど、「これを広げて行けばポットカバーになるよな?」と考えたのがきっかけ。
目的が生まれると学習速度が跳ね上がるもので、何かやりたいこと、作りたいものがあるなら、「まずはこれをやって慣れて行きましょう」という課題をこなすよりも失敗しようが下手だろうが作りたいものを作った方が上達は早い。
それで一度軌道に乗っちゃうと、今まであんまり興味なかった「課題」とかも「これはこれで全然アリだよな」って興味が出てくる。
最初は別にマフラーや手袋は作るつもりなかったけど今は作りたくてしかたないからな…!
人間の心変わりは恐ろしいものだな!
うまく行きそうな気配を感じるところまで来たけれど、どこかで大変な落とし穴が待ち受けているような気もする。#ノールビンドニング pic.twitter.com/wwldPxDzuI
— yajul (@yajul) 2017年9月22日
危惧していた通り、不格好な穴が開くことになってしまったが…!
でもまぁ、それはそれ。ぱっと見で全然問題ないし、なぜこうなったかはそのうちみてわかるようになるはずだし、とにもかくにも一つ完成させたというのが何より大きいかな。
…というかね!
めちゃくちゃ嬉しいんだよこれ!
先月まで、ウールとは無縁の生活を送ってきた俺が!
作品を完成させている!
そしてこのポットカバーの可愛さが半端ではない!
思わず被ってしまったほどだ!
そしてこれ、普通に帽子として通用することもわかった!
となればもう!
帽子作りたくなってきた!
というかこのポットカバーを抱いて眠りたいくらいにかわいいからな!
ちょっとこれは、尋常ではない。
ポット野郎にかぶせておくにはもったいないんじゃないのか…?
などと、思ってしまうわけだよ!
やー、なんだろう。木工で机を初めて作った時よりも嬉しさは大きい。俺の写真でいっつも写っているあの机。あれよりも嬉しい。いや、何か机に申し訳ないが。軽んじているわけでなく、な?
完成から一夜明けてもまだ、こう、気分が高揚しているね。
これが作れたのだから、あとはランプシェードも作れるはずだし、木の枠と組み合わせれば野菜干しの棚とかもいけるだろうし、ソックスは難しくともつま先を温めるアレはすぐ作れるし、時間をかければ普通にひざ掛けも余裕だし、帽子は実質的に作ったようなものだし(かぶれたからね)。
最初の20時間を終えて、今まさに子の世界に一歩踏み入れることができた気がする。
結論として、20時間の効果は凄まじいといえる。
もちろん、ここまで噛み合うのは珍しいにしても、20時間前と20時間後では、まるで別人になることも可能だということが分かった。
人生の中でも衝撃的な体験のうちに入ると思う。
本当に良かった。
そして、かかわっていただいた皆さんに感謝を。
これからもよろしくね。
ノールビンドニング - ワークショップで北村系子先生に教わったこと -
札幌の円山にあるpresseさんで行われた、ノールビンドニングのワークショップに参加してきた。
こちらの本「はじめてのノールビンドニング 縫うように編む、北欧伝統の手仕事」の著者の一人の北村系子先生がいらっしゃるということで、独学で変なクセをつけちゃう前にと勇気をもって参加。多分男性は自分一人だろうし、こういうワークショップに参加するのは初めてだしで大変に緊張したけれど。
結果として、参加してとても良かった。
3時間余りのワークショップでとてもたくさんのことを教えてもらったんだけど(途中で出していただいたお菓子も美味しかった)、その中でいくつかの重要かつ本には載っていないことを、実際に参加するのがベストだと思うけど、少し書きだしてみようと思う。
…俺というフィルターがかかっているので、そこは注意してほしいのだが!
神経質になりすぎない
最初に教えてもらったのがこれ。あまり神経質にならずに、大雑把に、適当に!なぜならあとからリカバリーはきくし、多少縫い目編み目が崩れても、段を重ねて行くと目立たなくなる。失敗したからってほどいてやり直す必要はないから、どんどん縫っていこう。ということ。
これは俺自身の感想にとっても近くて、最初はメタメタだったけど、段を重ねると確かに改善されている。
右が編み始め。わずか2時間の間に劇的に改善されているのがわかる…!リストウォーマーだが、サイズ感間違って俺の手首には細すぎるという悲劇。 pic.twitter.com/dYZ2H6flzO
— yajul (@yajul) 2017年9月18日
この時、「俺が上達したからだな…!」とか思ってたけど、ノールビンドニングは段を重ねると結構、うまくいくものみたい。縫い目がクタクタでも、二段目を縫う時に引っ張られて整然となるからだとか。この辺、ユーザーフレンドリーな編み物(縫物?)なのかもしれない。
それに、このノールビンドニングは北欧のヴァイキングたちが古来やっていた手仕事。あのヴァイキングの男たちが、「失敗したから最初からやりなおそ…」とかなるか?否!という(これは俺の感想!)。ノールビンドニングは、「ヴァイキングの男基準」で考えると、だいぶ肩の力が抜けると思う。針?穴が開いた木切れでいいだろ!糸?ちぎればいいだろ!失敗した?次で取り返せばいいだろ!みたいな。熱い感じの。北欧でメタルが熱いのと無関係ではなさそうな感覚で。森メタル的な。 コルピクラーニ。
ギリギリまで編む
「あ、もう少しで糸が無くなるな、継ぎ足さないとな」
と思ったときに継ぎ足す…のはまだ早い。もう本当にギリギリまで、もうループが作れないよ!というところまで頑張ってから、継ぎ足す。むしろ針から糸を外して先に針だけ通してから、糸を再び通して針を抜く。そのくらいギリギリまで縫うのが良いとのこと。むしろ糸を継ぎ足さないというなまけもの方式でも成り立つのがノールビンドニングということらしい(ヴァイキング的!)。
実際、先生のスマホケースは糸を継ぎ足さずに縫われたものだったんだけど、仕上がりはとても綺麗だった。もっとよく見ておけばよかった。そして写真も撮っておけばよかった。
こんな感じで先に針を入れてから、糸を通して針を引き抜く。そのあとに糸を継ぎ足す。
ノールビンドニングはカギ編みなどと違って、糸がしっかりと結ばれるので、糸がほつれても問題ない。そのあたり、ヴァイキングのかなり現実的な面が反映されていると感じる。リカバリーが効いて、失敗しても取り戻しが効いて、ある程度適当でも成り立つ。かつ、実用的。素晴らしいと思うんだ。
糸を継ぎ足すときは火が出るくらいに
糸の継ぎ足し方は本の56ページにさらっと「毛糸の繊維が絡み合うように手のひらをこすり合わせてつなぐ」と書いてあるんだけど、このときは、まさに火が出るくらいまで熱くこすり合わせる、とのこと。
火が出るくらいに。
なんとなーくコシュコシュやる…のは手ぬるい!文字通り!
火を起こすヴァイキングの男たちのごとき勢いでやる。のだろう。ちょっと勇壮なイメージが先行しすぎな感はあるけど。
この時に、糸を水でぬらすよりは手のひらを水に濡らしたほうが良いとのこと。また、北欧の方は水っていうか唾でやるらしい。そのほうがしっかりつながるんだとか。アミラーゼ的な何かが作用するのかもしれない。個人的な使用なら、唾使っても全然OKだよね。や、ま、その辺は人によるだろうけれど。そもそもヴァイキングは水を用意するとかそんなガーリィなことはしなかったような気もしてくるしな!
編み図?
気にするな!
以上!
…というのはさすがに言いすぎだけど、編み図に囚われすぎないほうがいいみたい。そもそもノールビンドニングは、作る人の親指の大きさによって全然サイズが変わってくるし、編み図を作るには不向きだとか。だから編み図は参考程度にして、あくまでも自分の作りたいものの実際の大きさを見て、測って、巻き付けてみながら縫っていくのが正解で、そんなにシステマチックに考えなくても良いそう。
第一、あのヴァイキングの男たちが編み図なんて(省略
増し目、減らし目をどう使えばどういう形になるのかを自分で体得しちゃえば、あとは作りたいものに合わせて工夫しながら縫っていく、というのがノールビンドニング、なのかな。
仕上がりを確かめながら編む
これはさっきのと同様に。
例えばミトンなら、実際に自分の手にはめてみながら縫っていく。
ついつい長々と縫い続けちゃって、想定よりも大きくなりすぎちゃったってことがないように、適宜大きさを合わせて縫っていくのがいいみたい。今回のワークショップではミテーヌの作り方を学んだんだけど、親指を入れるところを長く作りすぎると不格好になる、ということで。
縫い続けたい欲望を抑え、こまめにサイズを確認しながらやるといい。
適当に
今回のワークショップのキーワード。
適当に!
「ええと、本当に適当にでいいんですか…?」と思っちゃうけど、本当に、適当でOK。「テキトー」に迫るくらいの意味合いで適当に。あんまり「適切」に寄らないほうがいいような気もする。テキトーと適切の間。テキトー寄り。
個人的に、適当ぶりには大変な自身があるのでまさにこのノールビンドニングは自分に合っているな、と感じた。何せ、「編み物をやってみよう」と思い立ったのが9/8で、ノールビンドニングの本の発売日だったからね!木の針を作れることといい、確かな相性の良さを感じる。
形は後で整えられる
増し目減らし目を駆使して形を整えるのはもちろん、グイグイと引っ張ったり伸ばしたりして形を整えることもできる。
だから、「ここで失敗したらもうだめじゃないか」とか考えないで、失敗してもあとからリカバリーできるって考えながら適当にやっていくのがいいのだとか。それに、最終兵器たるフェルティングが存在するので、「こまけぇこたぁいいんだよ!」くらいの精神で続けて行くのがよさそう。
フェルティングでだいたい解決!
神経質にならずに適当に縫って形をあらかた整えたら、あとはフェルティング!
とりあえずフェルティング。
いいからフェルティングだ!
…正直なところ、自分はまだフェルティングというものをやったことがないのでどういう風になるのかはわからないんだけど、なにか困ったことがあっても最後にフェルティングというデウスエクスマキナが控えているから心配は無用らしい。
勇気が出てくるな!
本では88ページにフェルティングについてかかれている。
縮みすぎるのを防止するためには、フェルティング中にも実際にはめてみるなどサイズを確かめながらやるといいとのこと。
すべては、「自分で具合を見ながら適当に」やるのがポイントみたい。
そういうことで
今回のワークショップ。
一言で言うなら、「大変な勇気をいただいた」に尽きるだろうか。
「これでいいのか…?」
「これは間違っているのでは…?」
「俺にもできるのか…?」
「こんなんじゃ綺麗にしあがらない…」
いや、大丈夫!何とかなる!それでいんだよ!という勇気をいただいた気がする。
第一、あのヴァイキングの男(省略
ちょっと勇壮な男イメージがつきすぎるのもどうかと思うけれど、そうさせてしまったなら申し訳ないけれども!
何にせよ、海のように広い心の余裕をもって、楽しみながら縫っていくのがノールビンドニングなのではないかと思う。
俺自身、まさかこれほどまでハマるとは思っていなかった。これはとても楽しい。男であろうと、不器用であろうと、うまくできなかろうと、「それはそれで全然いいよ」というものだろうから。
ノールビンドニング - 毛糸ちぎり機の悲劇と、簡単に毛糸をつなぐ方法 -
全く新しいことを始めようと、ノールビンドニングを始めてから約15時間。
「とりあえず20時間」まであと5時間だけど、この段階ですでに結構身についている感はあると思う。ポットカバーもまもなく完成するし。縫い目はまだまだ安定しないけど、私的な使用に留める分には問題ない質だと…信じておきたい。
ノールビンドニングを楽しく続けていけているんだけど、一つ問題がある。
ノールビンドニングの特性上仕方ないことなんだけど…。
「頻繁に毛糸をつながなくてはいけない」んだよね。
カギ針や棒針編みの場合は、毛糸球まるまる一個使いきるまで毛糸をつながなくてもいいんだけど、ノールビンドニングは毛糸を2mとか3mで切って縫っていくものなので、下手をすれば10分に一回、20分に一回くらい、毛糸をつなぐ必要が出てくる。
ノールビンドニングの基本は「縫う」こと。毛糸をつなぐ時に結び目を作っちゃうとスムーズに縫えなくなるので、結び目を作らずに毛糸をつなぐ必要がある。だから毛糸を切らずに、己のパワーによって「ちぎって」、ほどいて、つなぐ、という工程が必要になるのだけど…。
ちぎるのが意外とつらい!
クラフトショップで「あ、この糸いいな、素敵だな」と思って毛糸玉を手に取ってみても…「これ、この毛糸を、俺はちぎれるのか…?」という問題が発生する!太い毛糸や、毛糸をいくつか束ねたものなど…色的にも触り心地的にも非常に素晴らしいのだが、パワー的な問題が持ちあがってくる。
…いけるのか…?
作品関係までの間、ちぎり続けることが、俺にできるのか…?
手元に太めの毛糸がある人はぜひ、ちぎってみてほしい。意外と辛いことが分かると思う。コットン系になるともはや歯が立たない。しかしそれでは、「ノールビンドニングでは太い毛糸は使えない」という結論になってしまう。
それはなんとかしなければならない。
俺はノールビンドニングが好きなんだ。
…それならば。
道具を作るしかないな!
そういうわけで作ったのがこれ。
毛糸ちぎり機!
…クオリティが非常に低いのは許してほしい。
要するに洗濯ばさみの要領で、手元を握れば先端が開く構造。ハサミの逆。それで、先端に彫った溝に毛糸をきつく巻き付け、グリップを握り込めば、バツン!と、毛糸がちぎれるという寸法。いかに太い毛糸でも、地球をも動かせる(byノーベル)テコの原理の前には屈するはずだ。屈してもらわないと困る。
特に設計図など描かず、「だいたいこんな感じだろう」と作り始める。いつものごとく。
ちなみに使っているのはナラの木。半端ではなく固いので、細くしても折れない。信頼できる男。
最初の試作品はこんな感じ。可動範囲が広ければ、よりちぎりやすくなろう…と思ったんだけど、いかんせん複雑な形をしているので仕上げが大変だということに気づいて、ボツに。かっこわるいしな!
そしてこちらの洗濯ばさみ型に。
なかなか洗練されてきたでしょ。
そして冒頭の画像のようなものが完成し、こんな感じで先端がひらいて毛糸をちぎるという「毛糸ちぎり機」が完成した!
…が!
きつく巻き付けて、ちぎって、毛糸を外して…って手間考えたら…素直にちょっとした痛みに耐えてちぎった方がストレスないんじゃないかなって…思っちゃったんだよね…。妙にでかいし…。
作ってる時は「これで(俺の)世界は変わるはずだぜ…!」とか思ってワクワクしてたんだけど、こう…いざできてみると…あまり世界は変わってない!
でもまぁほら、コットンみたいなちぎりにくいものをちぎるには、これはいけるはず!今は使わずとも、そのうちきっと出番が来るから大丈夫だ!
そう、思っていたのもつかの間。
見つけてしまった。
やっぱり、当たり前だけど、「俺ごときの疑問は、すでに誰かが解決しているもの」なんだなって。オリジナリティなんて…そうそうないものだなぁって、思うよな。
先人がすでに、「辛い思いをせずに糸をつなぐ方法」を見つけていたな!
BASICS: The Russian Join | Bella Coco
これよ!
見た目に美しく、しっかり引っ張ってもびくともせず、ハサミを使って切ってもいい!
ていうか多分、俺が知らなかっただけで、普通に編み物やってる人は知ってたんだと思うけど!
毛糸ちぎり機は…!
必要なかった…!
俺は、無駄に生みだしてしまったというのか…?
すまない…!
何か、罪悪感が!
でも、さっきの動画のつなぎ方だとどうしても意図が太くなってしまうので、純粋に仕上がりの美しさを求めるのなら、撚ってつないだほうがいいのかな?
と、一抹の希望を胸に抱きつつ。
しばらくは…出番はなさそうだ。
すまない…!毛糸ちぎり機…!
ノールビンドニング - 12時間目と、DIY雑感 -
ノールビンドニングは続いている。とても楽しい。
9月22日19時現在でおよそ12時間、練習していることになる。おそらく連休で「とりあえずの20時間」は過ぎると思う。それほどにハマっている。また、学習のほうも(多分)良い調子で進んでいて、上の写真のようにポットカバー制作を狙えるくらいにはなった。具体的には、どう編めばカーブが作れるのか、立体的な形が作れるのかという理屈が馴染んできた段階だろうか。まだまだ多くの技術が待ち受けているけれど、とにもかくにも「自分の思い描くものを形として表現できる」という最初の、そして大きな、一歩は踏みだせている。
DIY、クラフト系の趣味の最大の障壁はこの「自分が実際に何か創れるようになるまでのハードルが高い」ことだと思う。
この趣味をするにはまずあの練習を、その道具を、このマインドを…とやっているうちに情熱が失われていく。情熱はすなわち学習効率ともいえると思う。
もちろん基礎や基本、作例をまねることはとっても大事だけど、どこかでレゴや粘土のように、自由に形を作る段階を早いうちに経ておくと情熱は長続きするんじゃないかと思う。
実際自分も、テキストにあった「ハートのモチーフを作ってみよう」で、こう、かなり、挫折しかけた。そもそも、ハートに情熱を向けられなかったからね!いや、ハートは情熱だが!ハートはあるが!なんというのか、こう…目的のミスマッチがあったのではないかと思う!ノールビンドニングは楽しい。上達は楽しい。しかし、上達したとして、俺は…これを作ることに情熱を見出せるのか!?という問いが自分の中に生まれてしまい…。
なので、まずは自分の作りたいものを雑ながら作ってみようと。
何も強制されることはないはずだしね。作りたいものは自分で決める。そこで失敗なり課題を見出してこそ、謙虚に学ぶこともできるはず。
そんな気持ちで縫っている。
幸い(?)、ニンテンドースイッチのジョイコンがイカによる度重なる酷使で反応悪くなっていることもあるしな!
俺は縫うぜ。
相変わらず縫い目は安定しないのだけれども。
しかし、DIYやクラフトの何が良いって、「必要ないものを自分で選べる」ことだと思うんだ。
機能さえ満たせば、見た目はとりあえずおいておく。
重いものは乗せられないけど、そこは自分で気を付けるから大丈夫。
すっごい雑だけど、誰かに見せるものじゃないから、達成感を優先する。
商品なら許されなくとも、自分で使う限りにおいては捨てられるものもある。その選択権を自身に取り戻すことが、DIYクラフトの醍醐味ともいえるんじゃないかな。
なので今回は、とりあえず縫い目は犠牲にする!やっていくうちにいくらか改善もされよう!
うまいことを言う技術
ある意味で、現代は「うまいことを言う時代」なのかもしれない。
SNS、特にTwitterは「うまいこと」で溢れている。うまいことを言い続ける人が数十万フォロワーを手にし、うまいことまとめて出版したりもしている。
ネットの発達によって、誰もがうまいことを発信できるようになり、あるいは別に何ともない普通のこともうまいことやってうまいこと言った感を醸し出したりもする。
これは現代という時代を象徴する文化なのじゃないだろうか。
数百年後の人間たちに、「この時代の人間はくだらない話をお互い褒めあって喜んでたんだぜ」とか言われるかもしれない。「平安時代の貴族は何かにつけて和歌詠んでたんだって」と言われるように。
平安時代の貴族の和歌政治は揶揄されがちだけど、その根幹は「うまいことをとっさにいえる人の評価が高い」ということであって、これは現代も全く同じだ。
面接時にうまいことを言えた人が高収入の職に就けたり(もちろん、そのバックボーンが重要だけど)、とっさの一言がその人の評価をあげたり、うまいことを言う仕事が存在したり、うまいことを言えなかったばかりに結婚できなかったり。
面接、恋愛、プレゼン。平安貴族と同じく、「うまいこと言えるかどうか」が重要になっている。単にそのフォーマットが変わっただけで。
というかむしろ、平安貴族なら代筆を頼むとかできた分、現代の俺たちのほうが厳しいルールで戦っているといえる。平安最強のイケメン、在原業平なんかは、自分の屋敷で働いてる女性のために和歌を代筆してイケメンの上に理想の上司力まで発揮している。これはいけない。業平さまの魅力に酔いしれたい人にはマンガ「応天の門」をおすすめしたい。ナイスミドルとはどういうものかを全編にわたって教授してくれる。面白いよこれ。本当に。
話は少しずれたけど、つまるところ問題は、「どうやってうまいことを言うのか」だ。
そもそも、何が「うまいこと」なのだろう?どういうものが「気の利いた表現」なのだろうか?
その答えはたくさんあると思うけど、その中の一つに、「異なる着眼点で関連性を見つけ、予想外の表現をする」ことがあると思う。なおかつ、独りよがりにならず、相手にもわかる範囲にとどめて。
これがとっさにできる人は「頭がいい」「博識」「頭の回転が速い」と評されることが多いと思う。やりすぎると厭味ったらしくなってしまうのだが。
平安時代の和歌をよんでみるとろいろわかりやすい。
優れた和歌というのは、関連付けがとにかく上手い。「あ、ここをこう繋げるんだ」という驚きがある。もちろん、その時代にだけ通じる関連付けが多いので現代の俺たちにはあまり実感できないことも多いのだが、それでも大変な勉強になる。「こういう風にさらっと関連付けられる、関連先を見つけられる人が、優れた歌人だったんだな」とわかる。ダジャレかそうでないかを決めるのは、関連付けた先の意味と上手くシナジーしているかどうかだ。
古文といえば恐ろしく退屈な授業というイメージがあるけれど、和歌というのは要するに「当時最強のコミュ力を誇った強者たちの記録」として読むと、大いに学びがある。と思う。最高権力者に「ちょっと何かうまいこと言ってみてよ」と突然言われて、俺は、あなたは、何かできるだろうか?失敗すれば職を失う危険性がある。自分だけではない、一族にも影響が及ぶ。そんなプレッシャーの中、脳をフル回転させて、朗らかに「うまいこと」を言えるだろうか?
それが出来た猛者どもの記録が、まさしく百人一首であり、古今和歌集であったりするのだ。
…またも脱線気味だけれども!
古のコミュ力強者たちに学べるように、「うまいこと」というのは、関連付けをどれだけつなげられるかが大きい。語彙力はその結果としてついてくるものであって、どこかから拝借してくるものではない。誰かの話を引用するだけなのは「うまいこと」じゃない。「上手いこと引用する」のが「うまいこと」であって、単にくっつけるだけではオヤジギャグと同じになってしまう。
そういうわけで、関連付けはどうやって鍛えるのか。
これはもう、様々なものに興味を持ち、本を読み、でかけ、自分でやってみて…という極めて一般的な答えになってしまうのだが。
しかしそれら以前のものとして、おそらく一番大事なことは、常に別の角度からものを見ることだと思う。まぁこれも一般的な答えだけれど。
いろんな立場からものを見る訓練をしていけば、おのずと「予想外の表現」を引きだせるようになる。別に「うまいこと」だけじゃなくて、考え方やものの見方も変わるはず。
そこで、「別の角度からものを見るトレーニング」を紹介してみたい。
それは…Yahoo!知恵袋 だ!
…
……
本気だが!
まず、知の殿堂たる知恵袋にアクセスする。質問に答えるわけじゃないからログインしなくても大丈夫。そして、知恵袋で(残念ながら)そこら中にある「ものすごいバカな質問」を見る!
予想通りの、ものすごいバカな質問本文が出てくる。頭が痛い。しかしこれは鍛錬。己の常識を打ち破るための訓練なのだと言い聞かせて乗り切ろう。むしろここからが本番だ。
その、「ものすごいバカな質問」に対して、ぱっと思い浮かんだ返答があると思う。そして、多分似たようなことは回答欄にかかれていると思う。
では次に、その「みんなが思いつく反応」と異なる考え方、反応を自身の中で作り上げてみよう。単に周囲と違うことを言うのではなく。この背景になにがあるのか?このバカな質問に納得できるところは?立場を変えると大いに共感できるのではないか?
…などなど。
注意すべきは、「みんなの逆を言う」という天邪鬼になってしまわないこと。むやみに否定から入らないこと。
語彙力だとか読書だとかは、この訓練の後でも十分だという気はする。まずは自分のメガネの色を認識し、補色を使って色を相殺し、透明に近づけていかなくてはならない。
どれだけやっても、やはり自分のエゴは残るのだが。
しかしそれでも、少しずつでも、精神的イケメンの道は歩んでいきたい。果てしない道だけど。
学習曲線への挑戦 -ノールビンドニングを始める…ための準備をする-
「何かの技能を身に着けるには、10000時間の学習が必要である」
というまことしやかな説がある。10000時間。3~5年、がっつり取り組まねばなしえない数字だ。
しかし一方で「とりあえず1500時間」だとか「500時間だな」みたいな話もあって、目前の8~12時間にさえおののく俺たちには割と途方もない話になってしまっている。
果たしてどれが真実なのか。
そんな漠然としつつも初学者の心を折に来る説に一石を投じたのが、先にネットで話題になった、「とりあえず20時間やってみようぜ説」である。
元ネタはTEDのこちらのトーク。
The first 20 hours -- how to learn anything | Josh Kaufman | TEDxCSU
(必要に応じて字幕を日本語表示にしてほしい)
このTEDを聞いて突如やる気になるのが俺という男。あるいは全国全世界にいる俺のような人々であるので、「とりあえず何か20時間やってみるか…?」と思い立ったというわけさ。
単純だが!
いいんだよ!
そこで、せっかく何かを新しく始めるのだから、自分が全くやったことのないもの。およそ俺というイメージがないもの。全くかけ離れたものをやってみようという気になった。…かつ、安価に始められるもの、な!
そこで白羽の矢が立ったのが「編み物」である。
実際2時間やってみて、細編みまでできるようにはなった。これはすごい。ちょうど1時間15分くらいのところでものすごいストレスがかかり、「これはもうだめだな、俺には向いてないぜ…」となったんだけど、「まぁとりあえず20時間だしな」と乗り切ることができた。
おそらく、この「とりあえず20時間法」は、この「俺には向いてないタイム」を乗り切るためでもあるのだろう。
脳は学習の際、知識のインプットと整理を同時にやっているわけでなく、インプットしたものを適切に配置するための時間が必要だ。なので、学習を進めて行けばそのうち俺の脳の中でカチッとすべてが合わさる瞬間があるものだ。スポーツにしても、勉強にしても、趣味にしても。20時間あるいは10000時間の中で、この経験を幾度もやって、脳はその真価を発揮し最強に近づいていくのだろう。
ま、ま、それはそれとして、編み物である。
とりあえずやってみるにはネットの初心者サイトさんは最適だけど、やはりガチでやるには本がいる。
そこで出会ったのが、「ノールビンドニング」である。
ナイスなマダムがやって見せてくれている通り、これは編み物と縫物の中間というか、「糸を縫って仕上げていく」もの。カギ編み、棒針編みが伝達される以前のスウェーデンでヴァイキングたちが男のたしなみとしてやっていた勇壮な編み物である。
勇壮な北方の男…!
…これかっ!?
俺がやるべきは、これなのか…!?俺も…雪国の男として…!
しかもちょうど、9月8日に日本初の本格的なノールビンドニングの本が出版されている。
はじめてのノールビンドニング 縫うように編む、北欧伝統の手仕事
- 作者: 北村系子,マツバラヒロコ
- 出版社/メーカー: グラフィック社
- 発売日: 2017/09/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これは、何かしらの…おおいなる、こう、なんだ、アレが、サダメが、働いているというのか…!?
そういうわけで、俺の20時間は、編み物からノールビンドニングにスライドしたのである。編み物用の毛糸も使えるしね!
ちなみに、「ノールビンドニング」と本にも書いてあるけれど、英語の綴りだと「Nalbinding」が多いんだよね。スウェーデンの言葉で「NÅL」は「針」を意味して、それを「bind」結合するという説も見た。しかしそれが本当かはわからない。いずれにしても「Nalbinding」と「Nalbindning」で表記ゆれがあることは確からしい。
さて、やると決めたからには道具がいる。
ノールビンドニングには、木の針が必要だ。しかしあの形状の針はそうそう売っているものではない。なにせ専門書が今初めて日本で出版されたというような状況だから、手芸屋さんでも取り扱っているところは極めて少ないだろう。
…しかし俺は、樹木の男。
木で作れるものならば、俺は作れるのである。
不格好だったり、全く洗練されてなかったりするけれども…!
木工のいいところは、外見を気にしなければ機能はある程度満たすことができるということだと思う。強度が足りなければ太いのを使えばいい!技術が足りなければ力技という逃げ道が用意されている。それが木工である。
…何か怒られそうな気がするが。
や、もちろん細工ものは技術は絶対に必要だけどね!?
っていうか木工作家さんたちは圧倒的な技術を持っているので、俺のごとき男のタワゴトは真に受けないようにな!あくまでシロウトのDIYの範囲での話だからね!
…さて、そこで作り始める。
まずは材料。材料といえば俺は樹木の男。大体はそろっている。
今回はパワーとモダニズムを全面に推し出す感じで、黒い木を使おうと思う。
ソノケリンである。
木材カットが恐ろしく雑なのは仕様だ!いいんだよ!削るんだから!な!
このソノケリンはローズウッドの一種。ローズウッドは切った時にいい香りがするので、「ローズ」と名付けられている。いわゆる香木だな。ソノケリンはその名の響きの通り、少しケミカルな香りがする。紫檀の代用としても使われる美しい木材だ。
ちなみにマメ科。バラ科ではない。…まぁ、この業界、名前の付け方がすごくふわっとしてるからな…!「サクラ材」なのに実際は「カバ」だったり。じゃあ本当の桜は?というと「本桜」と言われたり。本桜かと思ったらシウリサクラだったり。見分けは難しい。その場のノリで名前つけたりするしな…。
しかしまぁ、ソノケリンはソノケリン。インドネシアで育っている素晴らしい木材である。その名や付けられた属性に無関係に、美しくそこにある樹木であるに間違いない。外材、国産材にブランドの差異はないぜ。
その美しいソノケリンを、男の武器、ディスクグラインダーで削り取っていく…!
美しいものを強引に削っていく快楽…はおいといて、ゆっくり慎重に削っていくと、こうなる。怪我には注意。
ソノケリンの良い香りが当たりに充満する。木くずはめっちゃ黒い。これでこそだぜ。
大方の形をとったら、あとはサンドペーパーでひたすら微細な形を整えていく。木工細工の一番楽しい時間だと俺は思う。大変だけども。グラインダーでラクをすると、上の写真のように線状の傷ができるので、まずはこの傷を全部綺麗にすることを考えて削っていく。120番くらいかな。ザクザクやる。で、そのあとは320、600、800までかけて、
こうなる!…穴の位置とか、穴周りとかすっごい雑だけど。
ソノケリンは相当ハードな木なので、厚さ2mmとかでもたわむことはない。圧倒的なパワーをかければそりゃ多少はしなるけれど、少々のことではビクともしないぜ。折れる気配は一切なし!
適度な重さと固さは俺に集中力を与えてくれる。ソノケリンを選んでよかった。
常に触っていたい感触が魅力だね。
そして、こちらが完成品。荏胡麻油で表面を塗っただけ。オリーブオイルでも可。でもオリーブオイルは1日置かないと油っぽいので、乾燥の早い荏胡麻油に。
木工の表面処理に迷ったらとりあえずオリーブオイルでいいと思う(水に触れないなら)。オリーブオイル万能だし。マスターモコミチもそう言っている。
…と、いうところで、俺の20時間の挑戦が幕を開けたのだけれども…!まだ本は届かないから、しばらくは動画を見て練習だな!
もちろん、20時間を完遂できないという可能性も秘めつつも。
この木工の気軽さ、楽しさ、完成の喜びが、編み物やノールビンドニングにも訪れることを期待して。