交わらない世界の助けを呼ぶ声を、聴けますか? -「竜とそばかすの姫」感想-
連日の30度越え、赤熱の気温に今にも気絶しそうになってきた俺。
かといって大っぴらにどこかに遊びに行くにもコロナの壁が立ちふさがる。
であるならば、行くしかないぜ映画館。
そういうわけで、細田守監督のアニメ映画、「竜とそばかすの姫」を見に行ったわけです。
IMAXでなッ!
映画館は基本皆マスクして黙っているので、他のレジャーよりも比較的安全度は高い!
このような言い訳をせずとも、あらゆる娯楽を楽しめる時代がまた来てほしいものだが!
でも出勤とか飲み会とかあんまりしたくないな!
悩ましいところだぜ…!
(画像は東宝より)
さて。
こちら。なんせ16日、昨日公開の最新映画なので…
何を語るにしてもネタバレの危険が伴う。
見てきたからには語りたいこの葛藤。
しかしここは、「ネタバレを気にして映画が語れるかっ!私は書かせてもらうぞ!!」とミステリで一番最初に犠牲になりそうなメンタリティでネタバレを気にせずドカドカ書かせていただきたい。すまない。
ネタバレ部分はもう少し後に書くとして、まずは、「細田守作品をどう見ているか」の話をしようと思う。
細田守作品は毀誉褒貶あるというか…割とあっちこっちで叩かれがちだよね。
しかし俺は細田守作品の大変なファンである。
まずは、そこから語り始めようと思うのだ…!
夏といえば? ホラーである。
細田守作品といえば? いうまでもなくホラーである。
ゆえに、細田守作品は夏を体現する作品ということになる。
そしてこの「竜とそばかすの姫」も、ホラーであった!
さすがだ!
とはいえ、別に恐るべき怨霊とか怖気を震うサイコパスとかが出てくるわけではない。もちろんだが。
細田守作品は、絶妙に「ほんとうのこと」を描写してくるのが怖い。俺はそう見ている。
例えば、第一作の「時をかける少女」。
「うっわ、こっわ…」と思ったのは、まず主人公たち3人組は、その3人組以外の人との接点が異様に無いことだ。スポーツマンの彼はちょっと例外かもだけど。
少なくとも、主人公の真琴には友達がいない。それに多分、学校では超絶浮いている。
「イケメン二人を侍らせている鼻持ちならない女」という描写が絶妙にあちこちにちりばめられている。これは怖い。女友達っぽい子は登場するが、彼女はスポーツマンとお近づきになりたくて真琴から情報を得ようとしているだけで、真琴とは食事も共にしないし、別に何も協力しない。
台詞では一切語られないが、「めちゃくちゃ浮いてるんですよ」という描写が隙あらばぶち込まれているので、見ている俺としては気が気でない。
「サマーウォーズ」の先輩(ヒロインの女の子)にしても、あんまりファンタジックな女の子をやってくれなくて、そこかしこにリアルなものが見え隠れする。俺は怖い。
そういうわけで、「あぁ、おそらく細田守作品は、普通の作品なら夢と希望とファンタジーで描写しない部分を残しておくタイプの、俺のような『できることなら夢を見ていたいタイプ』には結構辛い作品なのだな」と理解するに至る。
もちろん俺のこの理解が正しいとは言わないけれども。
俺はそのように把握している。
そして、細田守作品を見る際には目を皿のようにして「この作品の『ほんとうのこと』は…どこだ…!!」と探すようになり、いつしか大変なファンとなっていた。
…や、なんか歪んだ見方になってしまって申し訳ないのだが!
とはいえ、穿った見方ばかりしているわけでもなく、作品として大いに楽しませてもらっている。普通にファンだと思う。
一番好きなのは「おおかみこどもの雨と雪」かな。
でももしかすると、「竜とそばかすの姫」は勝った、かもしれない。
そういうわけで…これからネタバレをフルパワーでぶちかましつつ、存分に怖がっていこうと思う!細田作品はモンスターパニック映画だ!最高だな!!
以降の閲覧は自己責任で、よろしく頼む!
【追記】
続編も書いたので、そちらもよろしく頼む!
では行くぞ!容赦なくな!
- 鈴ちゃん、魔性の女説
- ともあれ、まずは順を追って怖がっていこうぜ
- 一気に現実世界の話になるぞ。怖いだろう?
- Uの世界も怖いぞ?いいのか?
- ついに明かされる、本作の「ほんとうのこと」
- 虐待は解決しないが、鈴ちゃんの魔性は花開く
- 「好き」だからといって「恋」するわけじゃない
- 二つの田舎の物語
- でも、根本的には何も解決してないですよね?
- 変われないが、変わることはできる
- ちょっと意地悪な見方かも?
- そういうわけで、結論として
鈴ちゃん、魔性の女説
さて、いざネタバレをしようと思うとなかなか筆が進まないのは困ったものなのだが!
この「竜とそばかすの姫」を見終わった瞬間、スタッフロールが終わり、気の早い客がぽつりぽつりと席を立ち、劇場が明るくなろうかというその時。
「鈴ちゃん、魔性の女説」が俺の脳の中に立ち上ってきた。
俺が後半の怒涛の展開に思った感想は、鈴ちゃん魔性の女説…!
鈴ちゃんという魔性の女に魅入られてしまったケイくんの今後の人生が心配で仕方ないぞ…!
14歳くらいであんな経験をしてしまったら、これはもう鈴ちゃんに恋をするしかないんじゃないだろうか。しかし鈴ちゃんにはすでに…!
俺は怖い…。
あそこまでのことをしたのち、普通に忍くんの彼女になっていくであろう鈴ちゃんが恐ろしい…!
ケイくんとトモくんには、あらゆる意味で、強く生きていってほしいのだが…!
もう…マジで…!
見終わった後、この魔性の女説に憑りつかれた俺はしばらく席を立つことができなかった。
細田守…最も信頼できる男…!
今回は、こちらの方向性でこの俺の心胆寒からしめるとは…恐るべき男よ!
ともあれ、まずは順を追って怖がっていこうぜ
鈴ちゃんが加速度的にかわいく、そしてその魔性を開花させていく話はいったん置いておいて、この作品はまず開始20秒で俺の心を支配してくる。
サマーウォーズのように、まずはこの世界のインターネットコミュニティがどのようなものであるかの解説が入るのだが。
ここでさらりと恐ろしいことを言ってくる。
この世界では、「U(ユー)」という完全なVRを成し遂げた仮想空間があり、ユーザー数は50億を超えてまだ増え続けているという。つまり基本的に全世界の誰もがこのUのVR空間にアズと呼ばれるアバターを持っており、「新しい自分で、第二の人生を送ることができる」のだ。
これは…夢の世界じゃあないか!
VRの目指す楽園、この「夢の世界」。
Uの世界では現実の軛から離れ、だれもが自由に、なんの制約もなく、なりたい自分になれ…る…
わけではない
どうだ、怖かろう?
サラリと説明されるのでスルーしそうになるのだが、このUの世界は、自分の生身の肉体やストレスレベルなどに応じたアバターが自動生成される。
繰り返そう。
リアルの肉体を参照してアバターが自動で作られる。
何度でもいうぞ。
現実の、この俺の、今この文章を書いている俺の手指、身長、体重、BMI、そして体脂肪、コルチゾール値を参照してアバターが自動で作成される。
早速ディストピア感マシマシじゃない!?
さすがは信頼できる男よ!
俺は…これを待っていた…!この絶望感を!
…俺は怖い…!
しかも現実の肉体の変化に応じてリアルタイムでアバターも更新される。
俺が太ったら!
俺のアバターも、太る!!!!!!!
ゴクリ…そんじょそこらのVRを扱った作品じゃないぜ、こいつぁ…!
とはいえ、提示されたアバターを承認するか、また別のにするかは選べるようで、無限にリセマラもできるのかもしれない。
また、参照する自分の写真を他者のものにすり替えることでもある程度の変化はできるみたいだ。
鈴ちゃんはルカちゃん(超美人)の基本体形に自分の特徴(そばかす)を足したようなアバター作成をしていた。
そのくらいの抜け道を残しておいてくれないと、50億もユーザーが集まるわけないよな…!
あと、やはり気になるのがアバターの人外率の高さ。
モブとしていろんな人のアバターが出てくるのだが、これが非常にケモい。
Uの製作者は…明確な好みを押し出してきているなと思わせるケモ耳少女率の高さである。
妙齢の女性であっても、エルダーな女性であっても容赦なくケモ耳を推してくるあたり、Uの製作者もまた信頼できる存在であると確信できる。
逆に男性のアバターはまんま獣のアバターが多い気がしている。カヌーやってる彼とかね。
特にジャスティスのメンバーの豹と狼(だっけ?)の女性アバター。あれは露骨に狙いに行っているとしか考えられん…!
俺は怖い…!
そしてその中で「そばかすの姫」たる主人公の鈴ちゃん(魔性の女)のアバターも紹介される。
非常な美人アバターなのだが、デザインにどことなく鯉めいたものを感じた。錦鯉。
鯉は滝を遡上して最終的には竜となる(コイキング的な)という神話が中国にあって、これはそれを意識しているのかなと思ったよ。
竜とそばかすの姫、だしね。
そういうわけで、映画開始数分で
・ディストピア要素をさりげなくぶっこんでくる
・信頼のケモ要素
・主人公のアバターの歌がめっちゃいい
・世界観的にはこれlainさんがadminやっててもおかしくないよな
という情報が俺の脳の中に流れ込んだわけです。
これは最高だな?
繰り返される「Uで理想の人生を」みたいなナレーションが、「lainを好きになりましょう」を感じさせて俺は怖かったね!
岩倉玲音のアバターはやはりこのペルソナちゃんになるのでしょうか。俺は怖い…。
一気に現実世界の話になるぞ。怖いだろう?
世界観の説明が終わり、Uではなく現実世界の話となる。
鈴ちゃんの普段の生活が描かれる。
舞台は高知県。鈴ちゃんは農村部から都市部に通学している。多分通学時間2時間くらいいってるんじゃないかな。
それなのに、父が「送ろうか」と声をかけても承諾しない鈴ちゃん。
そして鈴ちゃんがお世話している犬は、前足の片方が怪我でなくなってしまっている。
…不穏ッ!
そして「時をかける少女」を思わせる学校のシーンになるのだが…
「時をかける少女を思わせる」の時点で(俺にとって)圧倒的に不穏ッ!
もはや映画を見ていて心が休まる瞬間がない。
俺は怖い…。
そして三角関係の予感とか、鈴ちゃんと忍くんがいい雰囲気になってクラスメイトから排斥されるやつなのではないかとか、ヒロちゃんはちゃんとした「友達」だよな?大丈夫だよな?みたいな心配をしてしまう。
短い学園紹介パートでも細田監督の「どうかね?この災厄の種の数々を見て、存分に怖がってもらっていいのだよ?」というイイ笑顔が俺には見える。
俺もUの世界に逃避してしまいたい気分でいっぱいだぜ…。
Uの世界も怖いぞ?いいのか?
しかしUの世界はサマ-ウォーズのOZよりも治安が悪い。
まぁ世界的にヤバい事件が起きるわけではないし、肉体を参照してアバターが作られるとは言ってもアバターが破壊されたからといって肉体に影響はないっぽいので安心ではあるのだけども。
映画の中盤まではUの世界の話の軸と、現実世界の高知県在住の鈴ちゃんの話の軸が重ならないので、ちょっともどかしい。
Uの世界ではベル(鈴ちゃんのアズ)の素晴らしい歌によるサクセスストーリー、現実世界では母を失ったことですべてがうまくいかなくなった鈴ちゃんの生活が描かれる。
もしかすると、意図的に「交わらせない演出」だったのかもしれない。
Uの世界で新しい人生を。
あなたの現実世界には干渉は致しません。
そういうことか…!
俺は怖い…。
ついに明かされる、本作の「ほんとうのこと」
そしてついに、Uの世界と現実世界が交わる瞬間がやってくる。
しかしそこで見せられるのは、「いや、こんなに残酷な交わらせ方をしなくてもよくない!?」というもの。
本作のラスボスは、「ほんとうのこと」そのものだったのだ。
「ほんとうのこと」というのは俺が細田作品に感じるもののことで、冒頭にも書いたけど
「普通は描写しないけど、あえて現実のイヤな部分のかけらを残しておくこと」だ。
露骨なまでにディズニーの美女と野獣をオマージュしてきたのだが、野獣の正体は王子様でなく、助けを求めても救われなかった、虐待され続ける少年である。
そう来たか!
さすが俺たちの細田守!開き直って隠すことなく「ほんとうのこと」を目の前に据えてきやがったぜ!
そして、この虐待の問題は、解決されない!!
こ、怖いぜ…!
Uの世界であそこまで盛り上がったのに、実際俺はあのアンベールして歌った鈴ちゃんのシーンでむせび泣いたというのに、全世界が一つになったはずなのに、
虐待は、解決しない!
赤の他人が「虐待されている子供がいるので、保護をしてあげてください」と通報をしても、児童相談所は即時には動けないのだ。
こんなところまで「ほんとうのこと」を押し通さなくてもよくないっすかね!?
児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策(抄)
(平成30年7月20日付け児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議決定)
≪緊急に実施する重点対策≫II子どもの安全確認ができない場合の対応の徹底(「4関係機関(警察・学校・病院等)間の連携強化」)
○「虐待通告受理後、原則48時間以内に児童相談所や関係機関において、直接子どもの様子を確認するなど安全確認を実施する」という全国ルールに加え、立入調査の手順を以下のように見直し、全国ルールとして徹底する。・子どもとの面会ができず、安全確認が出来ない場合には、立入調査を実施すること。その場合、必要に応じて警察への援助要請を行うこと。
厚生労働省の資料より
https://www.mhlw.go.jp/content/000517278.pdf
48時間以内に安否確認をする、ということになっているが、やはりこの作品の児童相談所も圧倒的な人手不足予算不足なのだろう。
「竜」の正体が虐待されている子供だとわかっても、児童相談所は即時に動けない!
おそらく48時間ギリギリになって動けるかどうか、という状況だったのだろう。
ならばと、鈴ちゃんが超人的な行動力を見せて直接現地に行くことで解決をはかろうとするが…
(このあたりの、現地特定に至るプロセスはベタだったけど好きだったなぁ。各キャラの個性が一気に出る感じで。でも…)
虐待は、解決しない!!!
そんなに、簡単には、虐待は、解決しない!!
それはそうなんだけど!まちがいないんだけど!
少しは…夢を見せてくれたって、いいんじゃないっすかね…。
虐待は解決しないが、鈴ちゃんの魔性は花開く
冷静に考えてみよう。
いいかい、わが身のこととして考えみてほしい。
Uの世界で、唯一自分に優しくしてくれた歌姫がいる。
彼女の前でだけは安らぐことができる。
一方で、現実世界の自分は弟を守るために虐待を一身に受け続けるちっぽけな少年である。
助けを求めても、求めても、求めても、だれも何もしてくれなかった。口ばかりで、実際に行動してくれた人はいない。
弟以外は誰も信用できない。
Uの世界の歌姫だって、現実の世界の自分を救えるはずがない。
だってUと現実は交わらないから。
しかし、そういう状況で、Uの歌姫が自身の正体をさらしてまで自分の信頼を得ようと行動してくれた。
そしてさらに!
現実の世界でまでも、自分のところに駆けつけてくれた!
しかもそれが、自分より3歳(くらい?)上の、美しく芯のある強い女性だったら?
控えめに言って恋をするし、大げさに言えば崇拝するんじゃないか!?
しかしその恋すべき女性には、彼氏がいる(というか直後にできた)…!
ケイくんのメンタルが心配すぎる…!
成長して魔性の女になってしまった鈴ちゃんが強すぎる…!
「好き」だからといって「恋」するわけじゃない
まぁ実際、「ケイくんとは恋人関係にはなりませんよ」という伏線はたくさん引いてあったから、「それはおかしくない!?」という風にはあんまりならないんだけどね。
合唱の眼鏡の女性の留学先での話とか、お母さんの行動とかの描写があるから、「救ったり、救われたり、好きになったとしても、それが恋人とイコールになるわけじゃない」という割と明確な描写はしてあったりする。
しかし…「好きと恋人とは違う」というのはかなり斬新なのではないかな。
斬新というか…俺たちのリアルワールドではよくあることなんだけど、こうしたアニメ作品でそういう描写はなかなかされない。
「ほんとうのこと」が、最後まで炸裂する作品といえよう。
俺的に見て、本作は細田作品の真骨頂だ。
一方で、「気になるというのは好きということ、好きということは恋人になりたいということ」という価値観はカヌー少年とルカちゃんによってきちんと提示されている。
カヌー少年とルカちゃんが本当に素晴らしくてね…。この二人のシーンを見たいがためにもう一度見に行きたくなるよね。
そういえば、忍くんの鈴ちゃんへの母性的な気遣いも「心配しているけれど、恋ではない」という関係性だよね。最後に母性的なかかわりをやめて、ちゃんと恋をすると決めるわけで、実はこの作品は「好きと恋の違い」に明確に線を引く作品なのかもしれない。
いやぁ、すごいね!
二つの田舎の物語
今作には3つの舞台が登場する。
仮想世界のUを除けば舞台は2つ。
鈴ちゃんの地元の高知県の農村部と、ケイくんトモくんが虐待されている多摩ニュータウン。
多摩ニュータウンというのは、増大する首都圏人口の受け皿となるべく、1970年代から急速に都市化された元は農村である。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台のモデルでもあったはず。
つまり、いわゆる牧歌的な田舎と、急速な都市化で様々な問題が顕在化している元田舎の対比が描かれている。
ケイくんの父はおそらく富裕層なのだが、自身の能力への過信や使命感から息子を虐待するに至ったのだろうと思う。根っからの暴力野郎ではない、という描写もしっかりされている。
そして助けを求めることができない、という点では、ケイくんの家族は3人とも共通している。
ケイくんの父は、新興住宅地ゆえに近所に知り合いはいないし、在宅勤務だから助けを求めにくい。妻もいない(死別か離婚かは不明)。プライドゆえに弱音を吐く相手もいない。助けを求めることができない。
トモくんは、おそらく弱視と何らかの障害をもっているし、若年ゆえに助けを求めることができない。
ケイくんはこれまで何度も助けを求めたが果たされなかったという学習性無気力と内なる怒りによって、助けを求めることをあきらめてしまっている。
助けが必要だが、求めることができない人をどうするのか。
むちゃくちゃキツい現実の問題をダイレクトに突き付けてくるのが「竜とそばかすの姫」である。
でも、根本的には何も解決してないですよね?
最後に魔性の鈴ちゃんの最高の笑顔が見れたから、それでいいんだよ!!
という身も蓋もない決着を選択する道もあるけれど!
鈴ちゃん、顔バレしちゃってやばいんじゃ?とか
虐待、解決してねぇ!とか、
カヌーガイとルカちゃんの函館篇を早く見せるんだよ!今すぐにだ!とか、
忍くんがお母さんムーブに特化しすぎてて薄味キャラになっちゃってないかとか、
ヒロちゃんちょっと便利キャラ過ぎてこれまた薄味じゃない!?とか、
何気に合唱のお姉さま方がベルの正体が鈴ちゃんだって知ってたの怖いかも、とか
様々に去来するものはあるけども!
一番の問題である虐待については、「助けを求められる状態になった」という巨大な一歩を踏み出せたのが大切だと思う。
児童相談所に通報もしているし、鈴ちゃんとチャンネルがつながったからいつでも助けを呼べるし、父親も根っからの暴力野郎ではなさそうだと示唆されたし。
「助けを呼べぬ人を救うには、助けを呼べるようにすること」がまず第一歩で、それは果たされたんじゃないかと。
だから俺はこの作品はまごうことなきハッピーエンドとみる。
ぶっちゃけやろうと思えばベルと化した鈴ちゃんが唸るほどの金のパワーで解決することも可能なわけだし。児童保護施設に超絶に金を注ぎ込むとか。
…ちょっと俗な考えではあるけども、実際にそれに近いことをヒカキン氏はやっているわけだしね。
「そういう解決方法も見えている」という状態になっているわけで。
圧倒的な成果ですよこれは!
変われないが、変わることはできる
「変わる」「変えられる」「変化する」
そういう言葉を俺たちが使うとき、想い描いている変化は急速なものだ。
「ダイエットを…俺はやるぜ!」と思い立ったとして、1か月で10kg痩せるとか考えちゃダメなのと同じだ。
なまじ成功した人がいるから目くらましされるが、1か月で0.5kgでも減っていればそれで十分な変化なのだ。それは素晴らしい。
俺たちはついつい急激で劇的な成功を望んでしまいがちだ。
「急激に変化できなければ、それは失敗だ」と思ってしまう。
「失敗なのだから、もはや努力など無意味だ」と継続をやめてしまう。
本作の前半でベルが急激に成功したからといって、虐待もスピード解決するわけじゃない。
SNS描写のような爆発的な反応が、問題を解決する手助けになるとも限らない。
多くの問題は、ほんの少しづつレベルを地道に上げていくことでしか達成できないものなのだろう。
「これを変えたい」と思う。
その時、今のレベルが20くらいなのに、いきなり50を望んでもそれは無理だ。
まずは21を目指し、その1のために全力をかけることができるかが大事なのではないかなぁと、最近漠然と思っていたところに、本作でも似たような提示がされていて(そのように俺は受け取った)、何やら感ずるところがあったわけですよ。
ちょっと意地悪な見方かも?
ちなみにこれね、竜であるケイくんがね、非常にエロいんですよ!!!!!
竜の時も色気がやばいんだけど、本体がね!エロいのです!!!
その筋のおねーさま方には大人気な感じの美少年なんだけど!
でも多分ね、ケイくんを「エロく見る」ことも、それは、虐待の一種になるんじゃないかって、思ってしまったよ!
「何度も何度も何度も」を繰り返すシーンで、ふとそう思ってしまったのですよ。
かわいいだけ、かわいそうなだけの存在としてみてはならぬと。
だからどうだっていうわけじゃないんだけど、「あぁこれは、消費してはいけない」と、直感的に思ったですよ。
まとまらないけれども!
そういうわけで、結論として
いやぁ「竜とそばかすの姫」は(俺にとって)最高でしたね…!
他の人に勧めるか、と言われると、俺の見方が特殊だろうから一概には言えないけど!
ということで!
結論としては!
札幌市はオリンピックを招致する暇と金があるなら細田守作品を誘致すべき。
札幌を舞台にこれほどのホラーが!?とか、見てみたいだろう…?
俺は見たい!
主に俺が見たい!
みんなで怖がろうぜ…?