うまいことを言う技術

ある意味で、現代は「うまいことを言う時代」なのかもしれない。

SNS、特にTwitterは「うまいこと」で溢れている。うまいことを言い続ける人が数十万フォロワーを手にし、うまいことまとめて出版したりもしている。

ネットの発達によって、誰もがうまいことを発信できるようになり、あるいは別に何ともない普通のこともうまいことやってうまいこと言った感を醸し出したりもする。

これは現代という時代を象徴する文化なのじゃないだろうか。

数百年後の人間たちに、「この時代の人間はくだらない話をお互い褒めあって喜んでたんだぜ」とか言われるかもしれない。「平安時代の貴族は何かにつけて和歌詠んでたんだって」と言われるように。

平安時代の貴族の和歌政治は揶揄されがちだけど、その根幹は「うまいことをとっさにいえる人の評価が高い」ということであって、これは現代も全く同じだ。

面接時にうまいことを言えた人が高収入の職に就けたり(もちろん、そのバックボーンが重要だけど)、とっさの一言がその人の評価をあげたり、うまいことを言う仕事が存在したり、うまいことを言えなかったばかりに結婚できなかったり。

面接、恋愛、プレゼン。平安貴族と同じく、「うまいこと言えるかどうか」が重要になっている。単にそのフォーマットが変わっただけで。

というかむしろ、平安貴族なら代筆を頼むとかできた分、現代の俺たちのほうが厳しいルールで戦っているといえる。平安最強のイケメン、在原業平なんかは、自分の屋敷で働いてる女性のために和歌を代筆してイケメンの上に理想の上司力まで発揮している。これはいけない。業平さまの魅力に酔いしれたい人にはマンガ「応天の門」をおすすめしたい。ナイスミドルとはどういうものかを全編にわたって教授してくれる。面白いよこれ。本当に。

話は少しずれたけど、つまるところ問題は、「どうやってうまいことを言うのか」だ。

そもそも、何が「うまいこと」なのだろう?どういうものが「気の利いた表現」なのだろうか?

その答えはたくさんあると思うけど、その中の一つに、「異なる着眼点で関連性を見つけ、予想外の表現をする」ことがあると思う。なおかつ、独りよがりにならず、相手にもわかる範囲にとどめて。

これがとっさにできる人は「頭がいい」「博識」「頭の回転が速い」と評されることが多いと思う。やりすぎると厭味ったらしくなってしまうのだが。

平安時代の和歌をよんでみるとろいろわかりやすい。

優れた和歌というのは、関連付けがとにかく上手い。「あ、ここをこう繋げるんだ」という驚きがある。もちろん、その時代にだけ通じる関連付けが多いので現代の俺たちにはあまり実感できないことも多いのだが、それでも大変な勉強になる。「こういう風にさらっと関連付けられる、関連先を見つけられる人が、優れた歌人だったんだな」とわかる。ダジャレかそうでないかを決めるのは、関連付けた先の意味と上手くシナジーしているかどうかだ。

古文といえば恐ろしく退屈な授業というイメージがあるけれど、和歌というのは要するに「当時最強のコミュ力を誇った強者たちの記録」として読むと、大いに学びがある。と思う。最高権力者に「ちょっと何かうまいこと言ってみてよ」と突然言われて、俺は、あなたは、何かできるだろうか?失敗すれば職を失う危険性がある。自分だけではない、一族にも影響が及ぶ。そんなプレッシャーの中、脳をフル回転させて、朗らかに「うまいこと」を言えるだろうか?

それが出来た猛者どもの記録が、まさしく百人一首であり、古今和歌集であったりするのだ。

…またも脱線気味だけれども!

古のコミュ力強者たちに学べるように、「うまいこと」というのは、関連付けをどれだけつなげられるかが大きい。語彙力はその結果としてついてくるものであって、どこかから拝借してくるものではない。誰かの話を引用するだけなのは「うまいこと」じゃない。「上手いこと引用する」のが「うまいこと」であって、単にくっつけるだけではオヤジギャグと同じになってしまう。

そういうわけで、関連付けはどうやって鍛えるのか。

これはもう、様々なものに興味を持ち、本を読み、でかけ、自分でやってみて…という極めて一般的な答えになってしまうのだが。

しかしそれら以前のものとして、おそらく一番大事なことは、常に別の角度からものを見ることだと思う。まぁこれも一般的な答えだけれど。

いろんな立場からものを見る訓練をしていけば、おのずと「予想外の表現」を引きだせるようになる。別に「うまいこと」だけじゃなくて、考え方やものの見方も変わるはず。

そこで、「別の角度からものを見るトレーニング」を紹介してみたい。

それは…Yahoo!知恵袋 だ!

……

本気だが!

まず、知の殿堂たる知恵袋にアクセスする。質問に答えるわけじゃないからログインしなくても大丈夫。そして、知恵袋で(残念ながら)そこら中にある「ものすごいバカな質問」を見る!

予想通りの、ものすごいバカな質問本文が出てくる。頭が痛い。しかしこれは鍛錬。己の常識を打ち破るための訓練なのだと言い聞かせて乗り切ろう。むしろここからが本番だ。

その、「ものすごいバカな質問」に対して、ぱっと思い浮かんだ返答があると思う。そして、多分似たようなことは回答欄にかかれていると思う。

では次に、その「みんなが思いつく反応」と異なる考え方、反応を自身の中で作り上げてみよう。単に周囲と違うことを言うのではなく。この背景になにがあるのか?このバカな質問に納得できるところは?立場を変えると大いに共感できるのではないか?

…などなど。

注意すべきは、「みんなの逆を言う」という天邪鬼になってしまわないこと。むやみに否定から入らないこと。

語彙力だとか読書だとかは、この訓練の後でも十分だという気はする。まずは自分のメガネの色を認識し、補色を使って色を相殺し、透明に近づけていかなくてはならない。

どれだけやっても、やはり自分のエゴは残るのだが。

しかしそれでも、少しずつでも、精神的イケメンの道は歩んでいきたい。果てしない道だけど。