アメリカは自由なキャンバスである、という幻想が燃えている。 バンクシーの新作を観る。
バンクシーの絵が燃えている。
単純に旗が燃えている絵ということでもあるし、「今までのバンクシーとは違う」と感じた人たちが拒否反応を示しているということでもあるし、おそらくバンクシー自身の心も大きく燃え上がっている。
そういうわけで、前の絵と同様に、今回のバンクシーの絵の解釈も試みていきたい!
前回の絵の解釈はこちら!
「ゲームチェンジャー」の絵を解釈してみたことで、すっかり「絵画の解釈」が楽しくなってしまった。
新たな視点を授けてくれたバンクシーに感謝!
しかし、解釈するということは「己の心の中に強固な固定観念を醸成する」ということに他ならないので、高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に多角的な解釈を取り入れる心の準備体操は怠ってはいけないな、とも思う。
今回のこのバンクシーの絵については、従来の「一歩引いた視点からの風刺」を思わせる作風から、一歩踏み込んだ形の作品になっていると感じる。それは単純に「絵の物理的な暗さ」からくるものかもしれない。
いずれにせよ、バンクシー自身がこの絵に添えて発しているメッセージ
「最初は、この問題について黒人の人々の声に耳を傾けようと思った」
「しかし、これは彼らの問題じゃない。自分の問題なんだ」
と書いているように(全文は彼のインスタで読んでくれ!)、これまでとは異なる姿勢でこの問題に立ち向かわねばならない、と決意していることからも、「バンクシーが変わった」と感じるのは普遍的な感想だと思う。
そしてその変化が、人によってはガッカリするポイントだったりする。
あるいは、「旗を燃やす」ということそのものに強烈な反感を抱く人もいる。
この絵はテーマも描き方も穏やかならぬものだ。当然反応は激しいだろうと思う。
とはいえ、臆することはない。
自由に楽しくこの絵を鑑賞していきたいと思う!
さぁやるぞ!
目に飛び込んでくる要素
この絵を見て、まず目に飛び込んでくる要素、そして思いついたことを列挙してみよう。
- 燃えるアメリカの国旗
- 国旗は鋲で壁に直接貼り付けられている まるで磔刑のようだ
- 壁は塗りつぶされている 何を塗りつぶした?
- もともとの壁の色は白か?黒か?
- 白く塗り潰そうとしたが、失敗したようにも見える
- 星条旗の星がTwitterのアイコン的なものに見える
- 人物の写真 黒い影 目が吊り上がっている
- この人物は黒人なのか?それとも黒幕という意味なのか?
- 写真の前には燃え尽きたキャンドルが複数
- 左の花は写真の奥に置かれている 死者を悼むなら写真の前では?
- 右の花は百合だろうか?純真、無垢という意味か
- しかし百合はフランス王家の紋章でもあり、傲慢や高慢、身分制度、革命による打破という暗示もありそうだ
- 大きなろうそくが星条旗を燃やしている 燃やしたのか?偶然により燃え上がったのか?
- 溶けた蝋がひとすじ、百合の花に向かっている
- 星条旗は裏返されている? 普通に飾るとしたら、星のある部分が右に来るはずだ
- 壁を塗ったと思しき白い塗料の飛沫が、写真にもすこしかかっている
- 写真の前に置いてある俵型の物体はいったい何だろう?
じっくりと見て、以上のようなものが思い浮かんだ。
これらの要素から…俺の解釈を構築していきたいと思う!
もちろん、これらは「俺が見出した要素」なので、実際のバンクシーの想いは汲み取りようもないし、他の人に「これが正しい!」ということはできない。
そこを念頭に置いていただいた上で、それぞれ自身の解釈を見出してほしい!
覆いきれなかったアメリカというシステム
上記のような要素を総合して、自分の解釈を考えるに…
多層の文化や階層を内包したアメリカというシステムが通用しなくなったという意味ではないかな、と思う。
壁にアートを描く、というのはストリート文化であり、黒人的な文化(バスキアのような)であり、またバンクシー的でもある。
この壁には、何かしらのアートか、主張か、あるいは汚点があって、それを何とかして塗りつぶそうとしたように見える。
しかも、その塗りつぶし方がとても雑だ。
「写真に、壁を塗った塗料のしぶきがかかっている」点に着目した場合、各要素の順番を考えなくてはいけなくなる。
最初に、塗りつぶされていない壁があった。
次に、写真が置かれた。
そのあと、壁が塗りつぶされた。
最後に、星条旗が貼り付けられた。
そして、その星条旗が今燃えている。
こういう順番になるはずだ。
となれば、この写真の人物は、遺影なのだろうか?
壁に何か、塗りつぶしたい不都合なことが描かれていたとする。
そこにこの写真が置かれる。
白い塗料が乱雑に塗られる。写真にかかるのも気にしない。
その上に、これまた乱雑に星条旗が貼り付けられる。
とにかく体裁だけを整えたような、とても雑におこなわれた形跡が見える。
写真の人物が黒人であれ、黒幕であれ、無関心という悪意の表出であれ、KKK的な差別主義者であれ、乱雑に糊塗された有様は間違いなく描かれている。
「多層的な文化こそがアメリカである」というパッケージ化の失敗が見えているような気がしてならない。
もちろんこれは「アメリカはひどい、ダメだ」と短絡的に言えるものではなくて、良い面も多分にあったはずなんだけど、それでも、これまで雑に扱ってきた部分や、糊塗しなければならなかった部分が、表出し始めているということではないか。
「アメリカ」というパッケージで覆えるほど、壁は小さくなかった
アメリカの良い面では覆い隠しきれなかった問題があった、と言うこともできるかもしれない。
壁一面にあった「何か」を覆いつくせるほどの大きさは、国旗にはなかった。
そして、今、「死者を悼む行為」から偶然あるいは必然として火が点いたということにように思う。
俺はこの絵を「国旗を燃やした」とは思わない。
放置しておけばいつか必ず燃え移るものに、今回、ついに火が点いた。
そう解釈している。
写真の前に火が消えた複数のキャンドルがある。
これは今までに立ち消えてしまった運動のことのように思う。今までも同様の事件があった。しかしそれは大きな問題にはなってこなかった。それぞれのキャンドルは、一度きりで燃え尽きてしまった。
だが今回は大きく燃え広がろうとしている。
星条旗が覆い隠せないほどの壁があったこと、そしてそれは塗りつぶされてしまっていたことが、暴かれようとしている。
星条旗が燃え尽きた後(運動が広がり切った後)、壁がどのように塗りつぶされていたのか、それを直視して愕然とするかもしれない。
今、日本では「黒人であるとはどういうことか」が知られつつある。
そのすべてが正しいということではないかもしれないが、少なくとも今まで知られなかったことが表出している。
映画の中の黒人は「ワル」と「クリーン」に過剰に二分化しているようにも見受けられる。その理由が徐々にわかってきている。
確実に、見えなかったものは見えてきている。
大道廃れて仁義あり
2500年前の老子の言葉に「大道廃れて仁義あり」という物がある。
これは、「仁義というものが重視されるということは、裏を返せばその社会には仁義がないと言っているのだ」というような意味だ。
この言葉は真理のひとつだ。
例えば、「空気を吸おう!息をしよう!」という標語はない。みんな当然息をして空気を吸い込んでいるからだ。
つまり、表面上うまくいっているように見えることそのものが、実は大いなる欠落の証明になってしまっているということだ。
しかも多くの人はその欠落に気づかない。
それこそが大きな問題だ。
良さげな標語、良さげな現状、良さげな目標を掲げたことで満足してしまって、実は大きな問題があることが覆い隠されてしまう。
「仁義を大切にしよう」という標語は、多くの人が賛同するだろう。
そこで「それって仁義がないことと同義じゃないか」と批判しても、「なんだこいつ」としか思われない。「良い目標に向かっているんだから水を差すな」と一蹴されてしまう。
大切なのは実際に行動することなのだが、標語や旗に惑わされて実像を見るのが難しくなってしまう。
このバンクシーの絵を見て、アメリカの現状を見て、今自分の周りを見て、俺自身を見て、そして老子のこの言葉を見たとき、何か一致するものを感じ取った。
それを全部言葉にするのは難しいけれども、この絵を見るとそれがおぼろげにつかめるような気がしてくる。
勇ましく記事を書き始めたけれども、どんどん混迷に入ってきてしまったので、いったんここで書き終わることにするけれども…。
大道廃れて仁義あり、という東洋の奥義が、この絵につながっているような気がする。
この、妙な感覚の推移を味わえたことを、この絵の解釈の醍醐味としたい。
なにか、静かな気持ちになってきたな…。