そして象形文字に行きつく

易経ルーン文字、そして先日ついに梵字悉曇文字)にまで手を出してしまい、趣味に忙しくて仕事をしている時間がない男になりつつある。

あ、こないだのモノヴィレッジは楽しかったね!

いろいろと勉強にもなったし、これからどんどん出していこうと思っているよ…!

ああいう場では、むしろノールビンドニングの針を無償配布してひたすら布教に努めたほうがいいのかもしれないな…!あとワークショップのスペースもあったから、知名度が大きくなったらワークショップとかもやってみたいなーとか。そういうね。希望をさ…!

 

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さて、今日は、友人の娘さんに「接続詞について教えてほしい…!」と頼られたので…小中高の現国を無勉強で制圧してきた理系の男である俺の沽券にかけて間違った回答はできないと、図書館へ赴いて巨大な辞書でもって接続詞について調べてきた…!

「つまり」は辞書では副詞だけど、授業だとだいたい接続詞として扱われるよね。

すなわち(これは接続詞)、「つまり」の品詞は公的な試験では問われないということだな…!

まぁまぁ、それはそれとして、せっかく巨大な辞書のある図書館に来たのだからと、かねてより調べておきたかった「易経六十四卦」のそれぞれの漢字について、厚い厚い辞書でその語源と詳細な意味を明らかにしようと思い立った!

易経(えききょう)というのは、古代中国で書かれた、人類最古の書の一角をなす経典。細い棒をじゃらじゃらやる「易占」も、この経典を基に占っている。儒教四書五経の中で最上位に位置づけられている重要なもので、俺たちの孔丘先生(孔子)も「これはすごいぜ…」と言ってたし、ライプニッツも「こいつぁすごいぜ…」と言っていたし、現在もハーバードあたりの東洋哲学の授業で「こりゃあすごいぜ…」と言われていると聞く。

まぁとりあえず、「古代中国のすごい意味深な書物」と考えてくれればいいと思う。

こないだの元号改定の時にも少し話題になったよね。明治と大正は易経からってことで。

易経は最古に近い書物だから、易経を出展にしてしまえば今回の令和のように「いや、それには元ネタがるぞ!」とは言われないし、権威もあるので安パイなのである。「易経からとりました」と言えば「おう、なるほど」と無条件で納得してもらえる感じ。

易経というと馴染みがないけど、「八卦」と言えば何となく聞いたことがあるかもしれないね。八卦易経の概念で、その八卦をさらに組み合わせた六十四卦で事物を象る。八卦の「天」と「火」を組み合わせて「天火同人」としてその意味を考える、とかね。

そう、同人誌の「同人」は易経が元なのである。

六十四卦にはそれぞれ漢字が設定されていて、卦と漢字の意味を考えて占いをしたり、人生に役立てたりするというのが易経なんである。

なかなか面白いものだよ。

 

六十四卦の漢字とその順番を覚えやすくした詩がはこちら。作者は朱子学朱熹先生。

乾坤屯蒙需訟師 比小畜兮履泰否
同人大有謙豫隨 蠱臨觀兮噬嗑賁
剝復無妄大畜頤 大過坎離三十備
咸恆遯兮及大壯 晉與明夷家人睽
蹇解損益夬姤萃 升困井革鼎震繼
艮漸歸妹豐旅巽 兌渙節兮中孚至
小過既濟兼未濟 是為下經三十四

な、なんだかよくわからないとはおもうが!

こういう漢字がありますよ、ということで…。

 

六十四個はさすがに時間的に無理だったけど、六十四卦を構成する八卦の漢字をまず調べることにした。

特に、八卦の中で一番よくわからない漢字が「離」だったからね!上の詩だと3行目後半にあるよ。

この「離」は、「火」を表す漢字なんだけど…

普通に考えると「はなれる」という意味なんだけど、易経ではこれを「はなれる」と「くっつく」の両方の意味で解釈している。

「火は何かにくっつくことで存在できるからだ」と説明されているけれど、何か、こう、しっくりこない。

そういうわけで、漢字の語源を解説してくれている圧倒的厚さを誇る漢字辞典「字通」で調べてみると…。

 

な、なるほど!

ページを開いた瞬間、俺の脳の中で「Eureka!」という声がスパークし全裸のアルキメデス先生が疾走。

俺の脳内で躍動するアルキメデス先生がエンドルフィンとドーパミンの波を乗りこなしてイイ笑顔を見せる中、俺は理解した。

なるほどねー!

「離」という漢字は、「トリモチを使って鳥を捕獲する」が語源なんだって!

「离」は鳥のことで(猛禽類の禽もこれが元だ)、それをトリモチでハンティングする様子を表したので…

トリモチで、鳥を「くっつける」

そしてそのあと、収穫のために

トリモチを、鳥から「外す、はなす」

という二つの動作が一体になった漢字なんだよ!

これは凄いでしょう!?

相反する意味だけど、「トリモチで鳥をとる」という語源から考えると、何もおかしくはなかった!

だからこの易経の「離」は、「付」ではないので「くっついたり、はなれたり自在に起こる」という意味があるのだな!ずっとくっついているわけではないし、離れているわけでもない。そして、くっつくのも離れるのもお前の意思と技量次第なんだぜということも暗に示しているということだな…!?

 

いやー、これは感動したよ!

久しぶりに脳内アルキメデス先生が!

この瞬間こそが人生の神秘だよな…!

 

そして、今回本当の意味で「象形文字はすごい」と思い知ったよ。

象形文字って、要するにあれは非常口のマークだとか、トイレの男女のマークだとか、そういうデザイン記号だったんだよな。

いや、知識としてはもちろん知っていたけど、実感として深いところで理解できた気がする。

 

古代のある時代のある場所で、とあるハンターが、

「ここにトリモチの棒置いておくからね!槍とかに使ったらべたべたになるから注意してね!」

と注意喚起するために、棒の置いてある場所に「トリモチを使って鳥をとるイラスト」を描いておいたのかもしれないな…!

そしてそれを見たほかの人たちが、「何となくトリモチっぽく見えるな…これは鳥捕獲用の棒だろう…」みたいに理解してくれたり、したのかもしれないぜ…!

そう考えると…何やら熱い気持ちが生まれてくるじゃないか…!?

彼らの日常が、そして工夫が、現代の俺たちに欠かすべからざるモノとなって生きているわけだよ…!

これこそロマンじゃないか…?

 

太古の昔にも存在した、優れたデザイナーたちに深い敬意を表しながら、今日もあらゆる文字という文字を便利に使っていこうぜ!