構造から読む、「スラムダンク」のエンディング
少し前に、久しぶりに「スラムダンク」を読み返した。
最近(ここ十年くらい?)は単行本40巻50巻は当たり前のようになっている中で、31巻で終わるスラムダンクは「え、もっと長かった気がするんだけど、1試合の分量ってたったこれだけだったっけ?」と驚くほどだった。
ただ「スラムダンク」を読んできた人たちはおわかりのように、短くテンポよく進む中の濃度はものすごい。
およそ20年ぶりに読み返したスラムダンクは、めちゃくちゃ面白かった!
しかしそれは「以前と変わらぬ面白さ」ではなく、「ストーリー構造に気づいた故の面白さ」となり、さらなる面白さが俺の脳を襲ったわけなんだけど。
そしてその物語の構造に気づいたとき、当時の俺も、みんなも知りたがっていた「本当のエンディング」は、実はもうすでに本編の中に描かれていたのだと知った!
炎の男・三っちゃん
スラムダンクは(というかあらゆる物語は)、いくつもの構造を内包しているけれど、「真のエンディング」に続く構造のキーマンは俺たちの三井寿、世に言う「炎の男・三っちゃん」である。この三井寿がスラムダンクにおける裏の主人公と言ってもいいかもしれない。
三井が登場し、加入することで物語は一気にバスケットに向けて加速していく。三井という最後のピースが登場したことにより、ようやく序章が終わる。ドラゴンボールのベジータのような役割だ。ゆえに、三井を見て行くとスラムダンクの構造が分かりやすいように思う。
「悪いお手本」として
三井が大きな役割を担っているのは、「最後の加入者」だからだけではない。
三井は、主人公桜木の「ありえた未来」を体現して登場する。
つまり、どうしようもないワルとして。自身のいらだちを他者にぶつけて発散する、そんな不良として最初に登場した桜木とほぼ同じ。そしてより露骨に周囲に迷惑をかけるキャラクターとして、三井寿は姿を現すわけである。
三井とその取り巻きは「バスケットをやらなかった桜木」の可能性の姿だ。
桜木が本格的にバスケットをやろうとするタイミングで、「自分の未来の姿」のキャラクターが登場する。これはとても秀逸な構造だと思う。見事だぜ。
桜木が完全に「スポーツマン」となるのは物語最終盤だけど、実はこの三井を退けた時点で桜木は「スポーツマン」として道を歩むことが決定していたようなもので、とても大事なターニングポイントである。
そしてもう一つ、この三井の登場シーンで描かれるあの安西先生の名言
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
は、実は物語最終盤で桜木にも言っているのだ。
スラムダンクを象徴するセリフをかけられたのは三井と桜木のみ。しかもこのセリフはみんなの前で言った言葉でなく、あくまでも三井と桜木に1対1でかけた言葉というのも大きいかもしれない。ほかのチームメンバーはこのセリフの存在を知らないのだ。
三井と桜木は相同的な描かれ方をしている。
大きな怪我による挫折を経験し、それでも「バスケットがやりたいです」といった三井と、
背中に(おそらく神経的な)怪我を負っても「オヤジの全盛期はいつだ?俺は今なんだよ!」とバスケットを続けることを選択した桜木。
両者の構造は極めて似ているといえる。おそらく意図的に同じ構造で描いていると思う。
あきらめの悪い男
三井は物語を通じて挫折と後悔にさいなまれるキャラクターとなっている。
2年間のブランクで体力がついていかないという描写が何度もされる。
(これは逆に体力だけは十二分にある桜木と対照的だ)
スラムダンクにおける三井のストーリーは、
挫折と後悔にまみれた男が、再び自尊心を取り戻す
というもの。
そして三井が完全に自尊心を取り戻し、過去の自分を乗り越えた最高の名シーンが「おう、オレは三井…あきらめの悪い男」である。多分みんなあのシーンが脳裏に蘇っていることと思うが!キャラクターがアイデンティティを取り戻したときに自分の名前を言うというシーンは例外なく燃えるよね。
で、このシーンで三井は独力で自尊心を勝ち取ったわけではなく、ボロボロのヘロヘロで自分自身を失いそうになっているときに
- 赤木が自分のためにスクリーンをかけてくれる
- その一瞬を逃さず宮城がパスをくれる
- 外しても桜木がリカバーしてくれる
という、チームメイトへの信頼があったからこそ(我の強い)自分が自分でいられるというテーマも三井を通じてはっきりと描かれている。
真のエンディングは三井が示唆している
そんな「スラムダンク」のキーマン中のキーマンである三井は、俺たちが心から知りたがっている「真のエンディング」も描きだしている。
「真のエンディング」というのはつまり、
「それで、そのあとどうなったの!?」
である。
作中で背中に怪我を負った桜木は、本当に復帰できるのか?復帰できたとしても、実力が大幅にダウンしているんじゃないか?本当に大丈夫なのか!?
という疑問。
その疑問には「天才ですから」で答えているのだが、やはりそこは桜木の言うことなので俺たちの不安を払拭するにはちょっと足りない。ただの強がりかもしれないし。
このあっさりしすぎなラストシーンも、三井寿を知ることによって深い納得と信頼を得られる構造になっているのだ…!
そのカギは、山王戦の三井の最後の3Pシュートのシーン。ディフェンスの松本くんがファウルをして4点プレイとなった劇的なシーンの、その直後にさらっと挿入されるこのコマ。
このシーンの流れは
- 背中の怪我を負った桜木が執念で山王のシュートをブロックする
- 宮城がボールを運ぶ
- 山王に阻まれる
- 手詰まりかと思ったその時、三井があきらめの悪い走りを見せ、シュートを決める
という涙で視界が歪む最高のシーンなわけだけども。
なぜここで三井は怪我をした左ひざをかかえたのか。なぜその場面が描かれたのか。いつもの三井なら、ヘロヘロでぶっ倒れるとか、安西先生の方を見るとか、過去の自分と比べるとかするけれど、ここではそれをしない。
なぜだろう。
何の意味があるのか。
それはもうお分かりのように、三井のこのコマは、桜木の未来の姿を描いているのだ!…と思う!
「三井は桜木の未来の姿である」という、三井登場時の構造を当てはめてみると…。
復帰が難しい怪我を乗り越え、見事に復活し、最高のプレイでチームの信頼に応える
という構造を、桜木からボールを受け取ってやっているのである。
この、三井が膝を抱える場面。
それが示唆する、「桜木が無事に怪我を乗り越えられる」という未来。
これが「スラムダンクのエンディング」だと俺は思う!
あきらめの悪い男なら、天才なら、重い怪我からも復活できる!
その実証を、三井がすでにやってくれている!
だから俺たちは、何も迷うことなく、天才桜木の復活を心に描けばいいのだと思う。