脳の中のマリー

アントワネット的なことを脳の中で

不愉快な言説を脳内でミュージカルに変換してしまうと健康に良い

ネットを眺めていると必ずぶち当たるのが、不愉快な煽り叩きにヘイトに差別。

ここ数年はこれがもう本当に嫌で、ネットで情報収集も積極的に行わなくなった。何かしらの意見表明を見れば、それに対するリプライも予想できるし、そのやりとりをまとめてさらに叩く、みたいな構造もさすがに食傷気味だ。

なるべくそういった流れに乗らずに別の角度から物を見ようとしているけれど、それはそれで結構体力を使う。なぜ俺は無理にこんなことをしているんだろうと思ったりもする。

これは健康に良くない。

そう思っていたところで、この「不愉快な言説をまとめてミュージカルにしてしまう」という方法を見つけた!

ネットを見ていると、「不愉快な言説には実はそんなにバリエーションが多くない」と気づく。差別なんかはその代表で、差別は個性的でないからこそ広がるのだが、大体もう、見たことのある口調で見たことのある主張が何度も何度も繰り返されている。表現を変え、新しいネタを仕入れているけれど、その根底に流れるリズムは同じだ。

つまり、「そういう主張をする人」は、「ああいう口調」で、「何度も同じ事を言っている」。これはキャラクターとして設定しやすい。そしてこれは、ミュージカルととても相性が良いのではないか!?

何か不快な言説があるとする。それがこちらに流れてくる。不幸にして、俺はそれを読んでしまったとする。

そのとき俺の脳内では即座に登場人物が立ち上がり、己の熱い主張を音楽に乗せて朗々と歌い上げはじめる。これは面白く、また笑えるしかっこいい。彼らはそういう役割なのだ。どんな役でも歌う。それがミュージカルだ。俺は観客か、それともステージの後ろで物言いたげにポーズを取っている出演者か。あるいは幕の後ろで出番を待つ次の歌い手か。そう考えるととても楽しい。

そしてこれは、不快な話に限ったことではない。

昨今「嘘松」と呼ばれる、「本当に体験したことなのか怪しい創作実話風の話」にも応用できる!

話の真偽は確かめようもないし、確かめようとする行為がすでに不毛だし。

ならば…

歌えば良いんじゃないかな!

開帳される圧倒的な武勇伝。朗々と歌い上げる登場人物。「さすがディオ!俺たちに出来ないことを平然とやってのけるッ!」と盛り上がる脇役たち。それも全部含めてミュージカルだ。むしろもっと盛り上がっても良いはず。次に出てくるのは「それは嘘だろ」と糾弾する一派だ。ハードな雰囲気。こいつはクールだ。両者にどういう曲を割り当てるべきか。服装はどんなものだろうか?髪型は?

 

この方法で脳内変換すると腹が立たなくなるのは、「意見」を「表現」にすることで、「お前に言っているんだ感」が薄れるからだろう。「お前」から「みんな」に対象が変わることで、物事を客観的に見られるようになるのではないだろうか。

そう考えると、ラップ、ヒップホップもそういう文脈と言えるかもしれない。

ワルい男たちがワルい話をする。これは悪い。

しかし、ワルい男たちがワルい話を韻を踏んでリズムとフロウに乗せて語る。これはクールになる。「悪い」から「悪い表現」にすることにより、相手に伝わる裾野が広がるのだろう。

 

しかし、このミュージカル変換法を試し初めて痛感しているのが、「俺…ミュージカルの引き出し狭いな!」ということだ…。

そもそも、ミュージカルはミュージカル映画くらいでしか見たことなくて、ガチのミュージカルはそんなに経験をしていないんだよね。

なので、これを機に、ひとつミュージカルに足を運んでみようと思っている。

おそらく、そこには圧倒的な表現が待っているに違いないのだ。