武将の「名前」で楽しむ三国志 -主人公の蜀-

無双したりカードゲームになったり女体化したりと忙しい三国志の武将たち。

文醜」とかものすごいイカツイ名前でも美少女になったりするから面白い。

もうすっかり「そういう名前のもの」として、記号として受け入れられている感がある。まぁそれについていろいろと言いたくなる人も多いと思うけれども。

で、そんな彼らの名前。

彼らは漢字の国の人物たち。

ならば当然、その名前にも大変な意味が込められているはず!

しかも古代史の人物たちであるから、現代とは名前の重さも桁違いのはずだ。なんせ「字(あざな」なんてものがあったくらいだしね。

そういうわけで、主要な人物の中で「これは面白い」と思った「名前」を、まとめてみた。

 三国+後漢全部やるととんでもなく長くなりそうなので、今回は蜀の人。

個人的に見る傾向としては、主人公感の蜀、センスの呉、意外と地味な魏、という感想。そのほか、袁紹とかもすごく面白いよ。

主役になるべくしてなった蜀の人たち

劉備が建国した蜀漢三国志演義の主人公勢。

なぜ彼らが主人公なのか、という理由はいくつもあるけれど…

「名前」を見ればもう一目瞭然。

蜀のおなじみの4人の名前を見るだけで、「これはもう主人公だわ」と納得できる。

  劉備 玄徳

  関羽 雲長

  張飛 翼徳

  趙雲 子龍

もうお分かりだと思う。

「徳を備える」主君の下に、「羽、雲、翼、飛、龍」という、空や飛翔に関する名前を持った武将が並ぶ。これはもう主人公。まさに主人公。モータルコンバットのShujinkoは主人公じゃないから気を付けてくれ。

ちなみに張飛の本当の字は「益徳」なんだけど、三国志演義では「翼徳」に改められている。理由はもう、見ての通り。主人公勢の名前の意味を揃えたくなるのは作家の性。それに、趙雲よりも書く上の張飛が、名前的に趙雲にまけるわけにはいかない。これはもう、作劇上、仕方ない。

そして、彼らを補佐する軍師の異名は臥龍諸葛亮)と鳳雛ホウ統。できすぎている!まったく、やりすぎだぞ、羅貫中

蜀の五虎将軍の残りの二人の名前もまた見事なもの。

  黄忠 漢升

  馬超 孟起

黄忠は完全に主人公勢の名前。なんといっても蜀の建国の大義名分である「漢への忠義」を完全に体現している。これはもう、五虎将軍に入れない理由がない。派手な活躍シーンを入れない理由がない。一方で、不運の復讐鬼馬超さんは「蜀っぽいネーミング」ではない。この辺も、作中で蜀の臣下としての活躍がないことの隠喩になっていてとても良い(よくないけど!)。でも、「(乗り越える」と「(始まる」で、「俺を始まりとして、超えていけ」的な意味にも取れる。ゲーム的に言うと、序盤で死んでしまう歴戦の強者的なポジションになりそうだ(実際にそういう立ち位置でもある)。

そして、蜀漢の名前」として絶対に外すことができないのが、この二人。

  劉封 (字は伝わっていない)

  劉禅 公嗣

劉封って誰やねん、な人も多いと思うけど、彼は劉禅が生まれる直前に、劉備が養子として迎えた人。なんで後継ぎが誕生する直前に養子縁組なんかするんだよ!と突っ込みたくなるが…。作中でもきっちり突っ込まれている。後継者問題を新たに生みだすようなものだしね。

しかし、この二人の兄弟は、二人でなければならない理由がある。

史実なので理由も何もないけど、三国志演義の作者としては最高に「おいしい!」と思う理由がある。

この二人の「名」を並べてみると、「封禅(ほうぜん」になるからだ。

封禅というのは、中華皇帝が天と地と人に対して自らの即位を知らせる、いわば戴冠式である。これを行うことが皇帝の条件といえる。

つまり…

この二人の名前によって、「蜀漢が正当な漢の後継である」ことを内外に示したということ。そしてもう一つ、ものすごく重要なことは、劉備が「俺は皇帝になるぜ…?」と宣言したに等しいこと。つまり、「皇帝になるべくしてなったんですよ」という小説的なギミックと、「稀代の梟雄の野心の発露」という史実的な意味を併せ持った非常に良くできたネーミングなのだ!

そして、この「封禅」を構成する兄弟のうち、兄が、死ぬ。他でもない、父親の命令によって、殺される。おそらくは後継者問題を解決するために。

小説的に見れば、ここで劉備は自らの未来を自分で摘み取ってしまったということになる。

「封禅」を自ら壊した劉備は、程なくして道半ばで倒れる。しかもその時、「息子が頼りなければ君が取って代わってくれ」と諸葛亮に遺言をして。劉備の字に使われた文字、「(暗い、ほのかに」は、彼と彼の国の未来を暗示していたのかもしれない。

となった劉禅は何を思っただろうか。劉禅が何を思ったのか、どういう人物だったのかはあまり語られていない。暗愚、無能といった評判が先行して、彼個人のことはうかがい知れない。彼は40年もの間、平和に蜀の地を統治していたというのに(魏の皇帝は平均5年、孫権でさえ23年)。劉禅はどういう人だったのだろうか。そして、伝わっていない劉封の字は、どういう意味の漢字だったのだろうか。

 

…と、いう感じに、名前の漢字を見るだけでロマンに浸ることができる。

他の国の武将たちにはあまり見られない、こういう「楽しいこじつけ」がはかどるのも蜀の人々の特徴だ。これはもう主役にするしかないよね。

 

で、最後はこの人。

  姜維 伯約

維と約で、「約束をつなぐ」という意味になり、これもまた、あまりのできすぎっぷりに拍手を送りたくなるのだ。

 

 

 

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ちなみにみんな大好き魏延さんは、「延」と「長」で同じ意味になるという割と一般的な…悪く言うとあんまり面白みのないかんじなので…すまない!(そんなに長いんなら諸葛亮の祈祷の邪魔するなよ!と突っ込みたくなるが!)

同じく「同義語型」で有名な人では張遼がいる。魏延は「延長」、張遼は「遼遠」。

字の「文」や「公」などはなんというか、日本で言うところの「よしお」「わるお」「ふつお」の「お」に相当するので、「意味」としては考えない。「伯」や「孟」は長男をあらわす文字なので、これも同様に。