メルカリには夢がない

もちろん、比喩ではなく、メルカリには夢が売っていないというそのままの意味で。

 

今朝がたこんな夢を見た。

悪い夢の話をこんなにも詳細に書こうと思ったのは、「悪い夢は人に話せ。いい夢は話すな」と言うし、実際誰かに話した方が気が楽になるから。また、「話す」は「離す」に通じるので、悪い夢は離し、いい夢は離さないという言霊的効果もあるのかもしれない。

いい夢、悪い夢、離す、離さないについて考えている中で、ふと思いついた。

(夢買いのことは、マンガ「応天の門」で知りました。面白いよ)

 こういう「夢買い」の習慣は、「離したがらない」いい夢を、対価を払って自分のものにするというある種、呪術のようなものだったのかもしれないなと。買われるから、離さない。離すなら、相応の対価をいただく。

これは何か、とても面白いことのように思う。

だから、夢を探してみた。

夢を買うために。

夢だけは誰にも奪えない心の翼だからこそ、説得し、交渉し、双方が納得のいく形で契約をし、夢を、買う!

奪えなくとも、夢は買えるッ!

探し物は、夢。見つけにくい夢。鞄の中にも、机の中にもない、見た人の頭の中にあって決して離さない夢。夢の中に行ってる場合じゃない。俺がほしいのはその夢なのだから!

というわけで、俺のバケツリストが更新されて、

「いつか夢を買う」

が、俺の夢の一つになりました。

メルカリには夢の出品は見当たらず、Twitterで「夢 見た」と検索してもヒットするのは離したい悪夢ばかり。

家族友人のいい夢はなるべく買いたくない。彼/彼女の夢はそのままにしておきたい。

となると、これは、人生の中でもトップクラスに難しい買い物になるのではなだろうか。「この夢買えよ」といわれるものではない。売りつけられるものではない。あくまでも、自分が探し、求め、見つけ、心からほしいと思うものを買うのだ。これほど幸せな買い物はあるだろうか。

 こんなに買い物が楽しみになったのは久しぶりだ。

いつか、俺は夢を買う。家よりも難易度の高い買い物だ。これは燃える。

…下手をうって猿夢など買わぬよう、注意しなければならないな!