頭を良くするための小説の読み方

頭のいい人は小説を読まない。

仕事ができる人は小説にうつつを抜かしたりなんかしない。

そんなイメージは漠然と、ありますね。ネットなんかで話題になる「あたまがよくなる本」はたいてい哲学書、学術書、ビジネス自己啓発…そこに小説が入る余地がないように感じます。小説を読むにしても、古今の名著やトクベツな書に限られる。

そんなイメージが私の脳を支配してしまい、

娯楽小説など読んでいる暇はない…己の真の能力に目覚めたいなら今すぐに○○を…!

なんていう風に思ってしまうものです。それは私だけではないでしょう。実際には、読む人は読むし読まない人は読まないというだけなんですが。そして、「娯楽小説が何より好きな自分はかくのごとく能力を開花させられないのだ…無念…残念…!」と悲劇に酔いながら娯楽に耽溺する「私」を正当化するわけです。

しかしこれはあまりにもよくない。

かといって小説は面白いし大好きだし、離れがたい。

じゃあどうしよう。

要するに、小説を読みながら頭が良くなる/仕事ができるようになる方法があればいいわけです。

 

ここでは、「頭のいい人/仕事のできる人」を、「シミュレーションに長けた人」とします。頭のよさや仕事の能力には様々な尺度がありますが、シミュレーションがしっかりできる人は間違いなく「できる人」の十分条件を満たしているはずですから。

逆に、「できない人」を考えるとわかりやすいかもしれませんね。本番になって「あぁ、あれ持ってくればよかった…」「あれ調べてくればよかった…」と、要するに準備不足に陥りがちな人、チャンスをつかみ損ねる人、スマートに事を運べない人、です。まさに私。

しかし、そんな私も、この方法で本を読むことによって、かなり改善されてきました。おまけに日常の観察力、記憶力が上がり…と、なかなか喜ばしい成果がありました。

 

さて、その方法は、「文章を読んで、その場面を想像すること」です。

あたりまえじゃねーか!

という声がありそうですが、大丈夫です。この想像はあなたの想像の上を行く想像方法です。たぶん。

まず、普段本を読んでいて、どういう想像をしているでしょう?

例えば、「二人は幸せなキスをした」という文章を読んだとして、何を想像していますか?キスをする二人の男女を想像できた人は素晴らしいです。たいていの場合は、「幸せなキスをするというぼんやりしたイメージ」しか想像していません。人によっては、活字を想像して終わりという場合さえあり得ます。これは普段文章を読み慣れている人に多いのですが、想像やイメージよりも活字のほうが迷いなく状況を把握できるので、頭の中でそのまま文字を想像して終わらせるわけです。これは優れた手法ですが、慣れてしまえば流れ作業になるので、あまり脳のパワーを消費しません。30kgダンベルでガッチガチに鍛えたハイパワーなボディを擁しながら普段はせいぜい5kgの重さのものをもって生活してるようなものです。楽ですが、それだけです。

想像力はシミュレーション能力に直結します。そして想像力は観察力とも密接にかかわっています。

さぁ、先入観と慣れを捨てて、改めて「二人は幸せなキスをした」という文章、いや、場面に向き合いましょう。一度この画面から目をそらし、本気で二人のキスを想像するのです。容赦なく、徹底的に。

二人は男女なのか?どういう服装をしている?髪型は?色は?場所は?どちらが背が高い?手はどの位置にある?キスはどちらからした?ソフトキス?ディープキス?どちらがどれだけ首をかしげている?鼻と鼻の位置関係は?目は?

可能な限り詳細に想像するわけです。想像の中で二人から視線を外し、また二人に戻しても、そこで二人は同じようにキスをしていますか?ぼんやりとしたイメージになってはいませんか?明確に、正確に、自信をもって二人の姿を描写できていますか?

これは相当きついです。人によっては、この時点で目の周りから後頭部にかけてジーンとしびれてきているはずです。知能テストに全力で取り組んだ時のような刺激が脳に与えられているわけです。

さて、想像はここに終わりません。

次は二人のうち、どちらかの中に入っていきましょう。中に入り、感覚を共有するわけです。

まずは指先に集中し、相手の背中に手をまわします。えろいですね。でも大丈夫。幸せなキスなのですから。えろくはありません。人間の手というのは、神に与えられた超高性能センサーです。人間の手は、触れた瞬間に対象の温度、密度、重さ、材質、滑らかさ、大きさを把握することができます。熟練の職人さんと全く同じ機能があなたの手にも備わっているのですから。

触ってみましたか?実際に手をわきわきさせても良いです。むしろしましょう。怪しいですか?大丈夫ですよ。きっと。

せっかくの幸せなキスなのですから、おっかなびっくり触れるのではなく、愛しい相手の肌を感じましょう。どうせ想像なんですから、服は脱いでもらいましょう。他人の肌というのは、なかなか触れる機会がない物体の一つです。これまでの人生経験を余すところなくフル回転させ、肌の感触を想像してください。

骨の位置は?皮下脂肪はどのくらい?筋肉はついている?内臓を感じる?体温は?吹き出物はある?湿っている?乾いている?触った瞬間の反応は?手の位置を変えるとどうなる?

そろそろ問題に気が付き始めているはずです。

そう、「そんなに細かく意識して触ったことがなかった」という情報不足です。キスの相手が筋肉ほとばしるマッチョガイであったとしたら、なかなか感触を想像するのは難しい。手近なマッチョに頼んで筋肉の感触を確かめさせてもらう必要があるかもしれません。また、二人の服装を想像するとき、服飾に対しての理解の浅さを痛感するかもしれません。

こういう経験をしていくと、普段の観察力がめきめきと上がっていくわけです。日々、マッチョ…マッチョはいないのか…と目を光らせて生活することになり、ついにマッチョを見つけたとき、マッチョの生態を余すところなく記憶することになるでしょう。自ら求めた知識は、必ず自分の血肉になるのです。

空間記憶は観察力と不可分ですからね。

ジョジョ4部に登場する岸部露伴先生の「味も見ておこう」というのは圧倒的に正しいのです。いやさすがに本当に食べるまではいかずとも、「食べたらどうなのか」という探求心は想像力を高める最高のエッセンスでしょう。

さて、再び二人のところに戻ります。相変わらずキスをしていますね。さっき想像したのと同じ二人ですか?大丈夫ですか?すでに相当なパワーを消費しているでしょうが、もう少しです。大丈夫ですね?大丈夫ですよね。

次は嗅覚です。今までと比べるととても易しいですね。キスする相手の匂いを想像するだけですから。

しかし、やはりここも容赦なく想像していきます。

人間は生物ですから、いい匂いばかりではありません。「幸せなキス」というイメージに引かれて、自分に都合のいい匂いを想像してしまってはいませんか。ふわっとしたいい感じのニオイ…などという想像は明日にしましょう。今は、今この時ばかりは、キスをしている相手の生身の肉体と対峙すべき時です。

幸せなキスをしている二人は、その前まで何をしていましたか?風呂上がりでいきなり幸せなキスに至るという場面は少ないでしょう。二人はそれまでに何らかの行動をしていて、その行動の結果、幸せなキスをする運びとなったわけですね。つまり、シャンプーやリンスの匂い以外の香りもあるはずです。要するに汗の匂いです。だんだんと危険な領域に入ってきました。まだ大丈夫です。

汗の匂いは個人差があります。他人の汗のにおいをどのくらい想像できますか?クサい?いやいや、今は幸せなキスをしているのです。「客観的に言えばそりゃクサいけど、愛する人なんだから全く気にならない」という境地で向き合うのです。二人がそれまで怪物とバトルをしていたのなら、汗の匂いがしないなんてことはあり得ないですね。

汗だけではありません。残念ながら、口臭すらも徹底的に想像していきます。相当にハードになってきましたが、きっちりと口臭予防をしていただいているという想像でも全く問題はないです。では、どういう口臭予防をやっているんでしょう?そこまで掘り下げていきましょう。口臭に気を遣いすぎて逆にミントの匂いがきつい、とか、こいつキスする気満々だったんじゃねーのか疑惑という場合もありますね。しかしあくまで幸せなキスですから、相手の落ち度は幸せのパワーで中和していきましょう。想像後の私たちの心身の健康のために。

そして次は音、味…と想像のハンマーをふるっていくわけですが、さすがに全部書いていくと大変な長さになってしまいますね。

もちろん、何でもかんでもここまで想像しなきゃいけないというわけではないです。小説の文章一つひとつに対してこれをやっていくと、1冊読むのに半年かかりかねません。それはそれで素晴らしい読書体験だとは思いますが、苦痛が勝るはずです。小説の中の印象的なシーンから始めていくといいですね。

想像をするとき、カメラは固定ではありません。360度、あらゆる角度から想像していきます。想像の二人の向こう側に回ってみて、矛盾なく成立するか試してみましょう。

それと、まずこれは最初のうちは全然できません。想像を固定化させるのは想像以上のパワーが必要です。そもそも、昨日の夕食が何だったかすらあやしい我々には、それだけハードルが高いのです。ですから、いきなり完璧を目指すのでなく、たまにトライしてみる、くらいの気持ちでいたほうがいいですね。

前述のように、この想像をやると、まず自分の知識不足を痛感します。そして、自分がどれほど「なんとなくのイメージ」に助けられてきたのか、あるいは誤魔化されてきたのかを知ることになります。この衝撃的な気付きは、普段どのくらいの知識を見落としてきたのかのバロメータともなります。そこに気づいたあなたは、世界の見え方が変わるかもしれません。

私はこれを続けたおかげで、人の顔を見るのが苦にならなくなりました。以前は人の顔を見るのが恥ずかしいやら辛いやらで難しかったのですが、「この人のような人物を再現するためには今ここではっきりと見ておかねば…」と、恥とか言ってる場合じゃねえという危機感を持てるようになりましたから。

お気に入りの場面を深く味わうためにも、空間記憶力を拡充するためにも、シミュレーション力を上げるためにも、岸部露伴の境地に入門するためにも、この想像、試してみてはいかがでしょうか。