罪悪感に火をつけて

やりたいけど、やれない。

ずっと思っているけど、まだ手を付けてない。

毎日決心をしているのに、「その時」は未だやってこない。

 

そんな日常から脱出を図るも、その「脱出を図る」という行動がそのまま「やれない」ループにハマるという、まさに俺たちの人生はアキレスと亀。アキレスに劣る俺は、永遠に亀に追いつくことはできそうにない。

この状態というのは、目的論的に考えると「俺はやればできる男なのだぜ…!」という無限のファンタジーを壊したくないから、無意識に俺は「可能性を保存しておくために」行動をおこさないと決心している、ということらしい。実際にやり始めてしまったら挫折したとか、才能がなかったとか、無意味だったとか、それが原因で大きな失敗をしたとか、非情な現実を見たくないという心理が働いて、俺たちは一歩も動かないとのことだ。

これはうなずける!

つまり俺たちは「やらない」という確固たる意思表示をし続ける内なる自分をたえず叱咤激励し、「大丈夫だ、いや大丈夫じゃないかもしれないが、大丈夫ということにしておいてとりあえず前に進め」と歩を進めなければならない。

この俺の中の俺自身、つまり俺の脳の中のマリーをどうするのか、これは人生の目標だけれども、先日「ちょっとこれは上手くいくかもしれん」という方法を思いついた。

 

やりたいことは、いつ思いつく?

やりたいこと、やらなきゃいけないこと、やっておいたほうがいいこと

これを最も痛感するのは仕事中だ。学生さんなら、たぶん授業中だろう。

ヤな仕事から逃避するために「あれやりたいなぁ」と思ったり、

「あれやっておけばこんな苦労はしなかったなぁ」と思ったり、

「これやっておけば後で楽なんだろうけどなぁ…」と思ったり。

 その時は確かにやる気に火が付く。時には帰りに書店で英語の勉強法の本を買って帰るかもしれない。

しかし…そこで大体全部終わるんだよ!

 家に帰ったらもう俺は何もしない!何もしないと固く決意する!俺は…俺は、もう…「俺の部屋」という夢から外には出たくない…!つらい…!

そうして、買ってきた本は袋に入れたまま適当な場所に置かれ、開かれることはなく、また明日も「やっておけばなぁ」の毎日が繰り返され、1週間が過ぎ、52回繰り返し、年齢が肉体に深く深く刻まれるというわけさ…!

 

だから俺は

仕事中にやることにした。

やりたいことを!やっておきたいことを!

すまん!いや、仕事はちゃんとするけど!その仕事の合間に、俺の時間をくれ!他ならぬ俺のために!

 …あまりヨロシクナイ話ではあるんだが、俺は「仕事中に自分のことをやる」という罪悪感を使うことにした。

たぶん俺は、いつでもできることは、いつまでたってもやらない。

こう、あれだ、同棲中のカップルみたいなものだろう。「やろうと思えば、いつでもいつまでもやれる」んだけど、じゃあ果たして、やるのか?毎日?というとそうではない。むしろ、「会いたいけどなかなか会えないし、会ったら会ったで人目を気にしなきゃいけなくて…」という関係のほうが…こう、わかるだろう!?ヤるヤらないの話じゃなくて、やるやらないのことなんだが、まぁ、その、おおよそは伝わってくれると俺は信じることにするが!

もうちょっとマイルドに言えば、「仮病でサボったら、次の日はブーストがかかる」みたいな感じかな。仮病でサボると、翌日はその罪悪感から逃れるためにキビキビと動いたりする。仮病を疑われない範囲で。その心理を作り出しちゃったほうがいいと考えた。

あくまで発火装置として

もちろん、仕事中に個人的な勉強をやってることがバレたら大変なことになる。なので、ある程度仕事の裁量を任せられている人にしか使えない。でも、例えば英単語なら、10秒あれば例文一文読める。1日5回やれば1週間に35単語いける。1か月続ければ140語いける。もちろんそう上手くいかないが、着実に進歩はする。さらに、「俺はやっている」という確信が持てるし、「疑われないよう仕事も励まねば」と、仕事にも集中できる。

 人目を盗んで愛を語らう決して許すことのできない恋人たちのように、一瞬の時間を大事にできるようになるのだ…!

 とはいえ、やりすぎると大変なことになるので、そこは恋人たち以上の自制心を持ってやっていかなければならぬのだが。

俺も…オトナだしな…。

 

おすすめはあんまりしないけど、罪悪感で火をつけて進むというのも、ありかもしれないよ。