マツバラヒロコ先生にお会いしたこと。ノールビンドニングでセーターを作り上げたこと。
前回参加できなかったので、ちょっと久しぶりのニットカフェ。
さすがに…そろそろノールビンドニングのセーターを完成させなければならない時期に来ているので…(なんせ取り掛かってもう7か月だぜ)前夜に結構頑張って、一応の完成を見た!
やー、長かった!
元旦の休みを利用して、オシャレなカフェでドヤ顔で袖を縫い始めて7ヵ月。
な、ななかげつ!
すでにセーターのシーズンは終わり、灼熱の太陽が物理的に俺たちの身を焦がし始めているわけだけれども。熱さにはみんな気を付けてね。死なないでね。
ともかく。
終えた!
ノールビンドニング一周年である9月5日を前に完成することができたのは、ひとえに北村先生のテキトーなご指導(誉め言葉だからね!)と、ニットカフェを開催してくれたpresseさんのおかげだと思う。
いやもう本当に。
なんたって、ノールビンドニングのセーターは…相当な根気を要するからね!
これからノールビンドニングでセーターを作ろうとするすべての人に熱く語り掛けたい。
「大丈夫!そこ、第一の挫折ポイントだから!」
「あぁ、そのあたりで第二の挫折するよね!」
「だんだん面倒になってきちゃうよね!」
「来シーズンに希望を託そうぜ…」
「いっそそのままスヌードに直しちゃっても誰も君を責めたりしない…!」
いやもうね!
大変だよ!
セーターづくりっていうのはね!
今までの俺は、
「セーター作ったんだよ!」という言葉に対して
「おぉ、すごいね!」
と、いうのが精いっぱいだったが…。
今の俺なら言うことができる…!
「おぉ、そなたこそは真の勇者…。大変な偉業を成し遂げられましたね…!」
気分はドラクエの隠された祠あたりにいるジジイである。
本当にね。
大変だよね。
しかし完成したときの喜びは、その苦労を確かに報いてくれるので!
頑張ってほしい。
もし、ノールビンドニングでセーターを作ろうという人がいたら。
途中で挫折したって誰も責めないことと、
ここに一人、確かに、その挑戦を応援する男がいることを覚えておいてほしい。
いや、覚えなくて全然いいんだけど。
それで。
何とか完成直前まで仕上げてニットカフェに行こうとしたその時に。
連絡が入りまして。
「今日のニットカフェは、北村師匠と共著のマツバラヒロコ先生がいらっしゃるそうで。経典をもっていけばサインいただけますよー」
おお。
おお!
…おおおっ!
…いや待て!
あれ。
マツバラ先生来るの8月じゃなかったっけ!?
「8月にマツバラ先生いらっしゃるから、8月を目標にいろいろ作ろう。靴とか」
という計画だったんだけど!
セーターに7ヵ月かかってる時点でその計画は破綻しまくってるけどな!
しかしこれは!
…すげぇ緊張する…。
今日か!
よりによって!
まだあんま痩せてないのに!
いやそれはどうでもいいが!
どうでもよくないな!
1口につき100回噛むダイエット始めてるんだけど、これ結構いいよ!
しかしこれはまたとない好機。
というか多分、二度はない気がする。
っていうか、よく考えてみれば、北村師匠に気軽に質問できる今の環境が相当に恵まれすぎているんじゃないか。
あ!そういえば!
北村師匠にサインもらってないな!
著者の先生を目の前にして!
そういう発想が浮かばなかった!
まずい!
なんかいろいろと、浮足立っているが!
とりあえず!
ゆこう。
ゆこう。
そういうことになったわけだよ。
それで!
マツバラ先生にお会いすることができまして。
一緒に写真も撮っていただいて、サインもいただいて。ひつじかわいい。
北村師匠にもいただいて。師匠…なんでパンダなんすか…?
一緒に写った写真はお見せできないけれども。主に俺のダイエットの関係で。ええ。
おそらく、マツバラ先生と北村師匠のお二人に同時にお会いするという機会は今後もほぼないと思われるので、浮足立ちながらも大変貴重な時間をもらいましたね!
もうちょっと痩せていたかったよねー。1か月でそんな変わるものでもないけどさ。
頑張ろうぜ…俺よ…。
それで、これが完成したセーター!
…ボケてるけど。
襟の部分はかなり苦戦して何度も何度も切っては縫って、切っては縫いなおしての連続で、とても苦労した。なぜ苦労したかというと、最初に身頃と袖の大きさをテキトーに始めてしまったのが原因。身頃と袖をちゃんと決めれば、こんな苦労はしなくてよかったと思う。
けど、こういう失敗をリカバーできるのがヴァイキング的なノールビンドニングの魅力なのかもしれないね。
裾にちょっとアクセントが欲しくて、
「三つ編み付けたいんですけど…」
と言ってみたら、
「重くなるから、たぶんすんごい伸びちゃいますよ」
と言われ、断念。
とりあえず三つ編み、という貧しいセンスから脱却しなければならないな…!
これが切ったり縫ったりしてる最中の襟。
見づらいけど、内側に不要な部分がごっそりたまってるのがわかると思う。
セーターを作ってる最中は挫折に次ぐ挫折…というか、
「なんかいまいち、やる気が出ない…」
という怠惰な気持ちが一番厄介だったかな。
何だろう、やり始めればスイスイ進むんだけど、こう、いまいち、やる気のスイッチが入りにくいんだよ!
なぜなんだ!
…作業が地味すぎるからなのだろうか。
うーん。
今回は、その作業の地味さを打ち消すべく、毛糸をつなぐたびに針を替えて何とか怠惰ムーブを乗り越えた。その過程で、どういう針が使いやすいのかが自分の中でかなり情報が溜まった感があるね。これからの針作りに活かせたらなーと思う。
針のポイントとしては、
・針先が鋭すぎるとダメ
・穴は可能な限り大きく
が大事かなぁ。
…当たり前なことを言っているけれども!
結構、ミリ単位の違いがか使い勝手に相当影響すると思う。
俺の好みは、ちょっと厚め長め針先太めのテンションの上がる材質、ということが分かった。
…言葉にすると全然深みが感じられないけれども!
使っていると、微妙な違いが気になってくるものだよ!
そしてこちら、北村師匠がブドウの枝から作った針。
師匠、2か月前に手首を骨折されたんだけど、その影響で
「手首にあまり負担のかからない長い針」の実用性に気づかれたとか。
…俺の長い針趣味にも多少の理解を示してくれましたね!
そう、長い針は手首結構楽なんだよ!
言われて気づいたけど!
ハッハハ!
そういうわけで、ブドウの枝ももらったのでこれで針をまた作るよ!ちょっと太めの奴。
にしても、この枝ッ!っていう感が半端ない針はいいね。原始の鼓動を感じるよね…!
あと、骨とかね。
NHKスペシャル?で、ネアンデルタール人が骨で針を作っていたという映像があったらしいんだけど、そういう、こう、ね、太古の息吹を感じるものはいいよね。
(誰か録画してない…?)
で、こちら!
北村師匠の!
毛糸つなぎ機!
俺のがっかりつなぎ機よりも洗練され、しかも確実につながる驚異の技術なわけだよ!
羊毛フェルトの針。
これでちくちくとやると…瞬時に毛糸がつながるという…
がっかりつなぎ機のがっかり具合が大変なことに…。
あんな…ひどい…!
この羊毛フェルトの針なら、
手でごしごし(火が出るように)やることができないくらい短い糸先でも、きちんとつなぐことができる。
確かに、毛糸は羊毛だし、用途に合っている!(アクリルでもいけるらしい)
すげぇ…!
盲点だったぜ…!
俺は…火が出るようにこすり合わせることしか頭になかった…!
「革なら火が出るほどにこすれるのでは?」
「ほかに火が出るくらい熱くできるものはなんだ?」
とか、ひたすら「いかにして火を出すか」を考えていたからね…!
なんという呪縛…!
火属性はダメだな!
この産業革命に地味に結構なショックをうけていたんだけど、ことはそれに終わらなかった。
これこそ…
毛糸ちぎり機!
黒曜石!
オブシダン!
シンプル。
そしてすっごいちぎれる。
あんま力もいらないし。
巻きつけたりする必要もないし。
毛糸ちぎり機…。
安らかに眠ってくれ…。
しかもね。
このオブシダン毛糸ちぎり機、その圧倒的な存在感のほかに、素晴らしいストーリーがあるわけだよ。
北村師匠がカムチャッカ(だったっけ?)にお仕事で行ったとき、師匠が持って行った図鑑を現地の方に譲った際に、お返しにともらったものなのだそうだよ!
しかも、カムチャッカ(だったよね?)では、黒曜石は「先祖の霊を呼ぶもの」(だ、だったっけ?)という特別な意味を持つそうで。
すごい。
フレーバーテキスト*1までついているレアアイテムじゃないか!
俺の毛糸ちぎり機…。
R.I.P…!
木を削ってスプーンを作る - そして男は海岸をめざす -
三連休初日の7月14日、ついに念願の木工教室に行ってみた!
札幌の芸術の森で、月に2~3回開催されている木工自由製作教室。
これに参加することを待ち望んでいたというわけさ…!
芸術の森では、陶芸、織物、木工、ガラス工芸など一通りのクラフトができる設備がそろっていて、各施設は格安で借りることができる。
ただ、全くの初心者だとか、工芸設備を使い慣れていないうちはいきなり施設を借りても何をどうすればいいのかわからない状態になってしまうので、まずは何かしらのワークショップに参加して、設備の使い方を知ってから設備を借りたほうがいいように思った。
実際、俺も以前芸術の森の木工房を借りて作業をしたことがあるんだけど、
「な、何をしていいのかわからない…!」
という状態になったので、何事にも慣れとレクチャーは必要なものだと思う。
木工に比較的慣れている俺でも、
・これは使っていいの?許可が必要なの?
・グラインダーはどこで使えばいいの?
・ドアは閉めればいいの?開けとけばいいの?
みたいな、まるで新入社員のころを思い出すようなぎこちなさに襲われ、まるで何も作業が進展しなかったことがあった。
なんせ、板に穴開けただけで終わったからね…!
借りる意味ないな!
なので、まずは、ちゃんと教えてもらうことが必要!
道具の使い方をわかっていたとしても、ちゃんと一度教えてもらって確認をしてからやるべきだと思ったんだよね。
こう、俺は仕事もなんでもそうなんだけど、
「どこまで自分の判断でやっていいのか?」
「全体像はどうなのか?」
っていうのを自分の中で落とし込めないと、一気に無能になってしまう人間なのでね!
それこそ、ドアの開け閉めレベルのあたりから悩んでしまうんだよ。
だから初見で無能と判断されがちなのが悩み。
その辺ソツなくできる人にはあこがれるなぁ。
さて、今回、木工自由製作教室で教えてもらったのは…
冒頭の画像にもあるように、木のスプーン作り!
木材の男として…木のスプーンは避けて通れない道なんじゃないかと…思ったわけだよ。
それに、今まではなんだかんだで彫刻刀や切り出し小刀の使い方は習ったことがなかったし。
これを機会に、俺も彫れる男になるべきじゃないのか、ということで。
彫れる男に…!
他意はない!
すまない。
それで、目指したのは平たくて丸く大きいスープスプーン。
何となくオシャレに見えるあれ。
あれを作る。
まずは木工専門員の先生の教えに従い、俺の理想とするスープスプーンの姿を、厚紙に描き出す…!
これが…俺の求めるスプーンのイデア…!
とか暑苦しく描いてみても、あくまでもそれは型紙。
そんなにすごい姿になるわけもない。
ただ円に棒がくっついているだけの細長い前方後円墳である。
しかし前方後円墳には無限のロマンがあることを信じて、その型紙を木の板に写し取り、糸鋸盤で切り取る!
できた!
が!
俺は…
糸鋸盤が下手だ!
ここにきて己の糸鋸盤適正のなさに若干絶望する。
すごい。下手っぴだ…。
しかしまぁ、「それは削って矯正すればいいよ」ということで、さっそくメインであるスプーンの丸いところを彫刻刀で彫っていく。
yajul35歳。初めての彫刻刀。
いやさすがに小学生の時は使ったけど。
趣味として木工を始めてからは初めてなんだよね。
大体は機械のパワーと鋸という力業で何とかしてきたのが俺の木工だったからな…!
木工はパワー。
しかしそれももう過去のものにしなければならないのかもしれない。
糸鋸で切り取った後、さっそく彫刻刀で彫ろうと作業台の上に置いて、彫刻刀を構える俺に…
先生「yajulさん、ちょっと変なやり方で彫ってみましょうか?」
俺 「?」
先生「こう、彫ります」
俺 「こう?」
まさかの…
彫刻刀を逆手に持ち、彫るものを左手に持って空中で彫る!
(軍手だと滑るので、皮手袋がいいらしい。もちろん素手でもいいんだけど、ケガには本当に気を付けて。子供には絶対やらせちゃダメ)
俺 「机に置いて、固定して彫るんじゃないんですか!?」
先生「それでももちろんいいですよ。でも僕は、海岸とか、河原とかで自由に彫るのが好きなので…
俺 「それで。それでやりたいです。それがいいです。是非それで…!」
海岸や河原で木彫り
圧倒的な、あまりに圧倒的な破壊力…!
これよ。
これを求めて、俺はこの日にここへ来たのかもしれん…!
ノールビンドニングもそうだけど、自由な場所でやりたいようにやれるっていうのは魅力的だよね。
なにかこう、つながるものがあるね。
設備を使って見事に仕上げる、というのももちろん素晴らしいけど、粗があるのも素敵だと俺は思うわけだよ。
先生いわく、「yajulさん、木工はね、彫刻刀と切り出し小刀があればできるんですよ!」
まさにその通りだと思ったね!
ちなみにというか当然だけど、このやり方は危険が伴う。
でも一応、逆手で根元を握っているから、切っ先がズレたとしても、握り手が引っかかって深くは刺さることはないのだとか。
でも、何度も言うけど、このやり方は本当に気を付けてね!
推奨はしないよ!
中身をある程度くりぬけたら、次は切り出し小刀で形を取っていく。
すごい。
彫り物っぽくなってる。
っていうか、木工台を上から撮るだけでオシャレな絵になるのって素晴らしい。
スプーンの中の仕上げは最後に。
すごいボケてるけど。
木工台が主役だから仕方ないね…!
ちなみに今回使った彫刻刀は一種類だけ。
15mmの丸型。これ一本でスプーンなら自由自在に作れるらしい。
買う。
買うぞ。
そして彫刻刀や小刀の選び方、手入れの仕方も教えてもらった。
そんな木工教室が10時から16時で1500円…!
これは大変にお勧めするよ。
今回は俺はスプーンを作りたかったのだけど、他にも作りたいものがあれば自由に作ってOK。自由木工教室だからね。
材料と、「これを作りたい」という熱い情熱があれば他には何もいらない。
…と思う。
まぁさすがに大きすぎるものは無理だけど。あと、参加人数の多寡によっても異なるけど。
「木工やってみたいけど、何からやればいいのか、何ができるのかわからないしなー」
という人には最適かもしれないよ!
とりあえず、木のスプーンを作ってみるといいよ…!
ジャムスプーンでも、なんでも。
やってみさえすれば、出来上がるものはあるからね…!
それで、家に帰って胡桃オイルを塗り終えたのがこちら。
胡桃の木で作ったスプーンだし、胡桃オイルが一番合うよね。
胡桃オイルがなければ、無塩ミックスナッツとかに入ってる胡桃をガーゼでくるんで、トンカチとかでつぶしてオイルを出せばOK。
それもなければオリーブオイルで大丈夫だ!
ちなみに、一緒に写っているのは「江別やきもの市」の戦利品。
いやぁ、今年も素晴らしい焼き物が多くてね!
特にこの真ん中のおちょこがね!
一目ぼれだったね!
あんまりお酒は飲まないんだけど、中国茶はよく飲むから、小ぶりの茶碗を探していたんだよね。
こういう華やかな茶碗ってなかなかなくてね!
その性善説はブラックリスト方式
その言葉を聞くだけで「うぉっ…!来たか!」と身構えるほどに。
恐るべきは人の言の葉。
繰り出される言葉に潜む真の意味に、太古の昔に言語を獲得して以来俺たちは翻弄され続けている。
という何気ない一言が、さながら「すべからく」が如く、俺をじりじりと苦しめるわけだよ…!
「すべからく」という文字を目にした瞬間、「ぶ、文末は…ちゃんと『べし』で受けてくれるよな…?」と不安に駆られてしまう。恐る恐る文を読み進めていく。たのむ。うまく受けてくれ…。もはや文の意味は頭に残らない。まるでスポーツ観戦のように。歓喜の瞬間と絶望の未来を天秤に乗せる。
そして最後に「べし」で受けてくれたその時は!
もう抱きしめてキスの嵐を浴びせたいくらいになるよね!
俺が言うとキモいが。すまない。
しかしとにかく、「その言葉が登場すると文意そっちのけで『正しいか否か』が気になってしまう」という恐ろしい言葉の中に、「性善説と性悪説」はある。
他には「的を射る/得る」とか。個人的には「的を得る」は全然OKと思ってるけど。
言葉は変化していくものだし、その時々で使いやすくカスタマイズされていくべきとも思うけど、しかしその己の理想の中にやはり頑固な部分がどうしてもあって、「いやいや!」とか「別にいいだろ」とか、脳の中で論争が巻き起こるのがどうにも、こう、MPが減る感じが凄いする。
あぁ、もう、おぉ、俺の脳の中が!
性善説=世の中の人の本質は善だよ!信じればちゃんとわかってくれるよ!
性悪説=世の中の人の本質は悪だよ!そんな簡単に信じちゃいけないよ!
という感じ。
実際、確かに、文字を見たらそんな感じがする。
君は天真爛漫か?クールか?
というようなライトな意味で使う場面が多いと思う。
しかし、この二つの言説が登場した文脈を踏まえると、意味が結構変わってくる。
「性善説の人」と解説されると、なんかすごくふわっとして朗らかな人の好いおっちゃんのような気がしてくるが、その実態は戦国のバトル野郎である。いや別に直接バトルしたわけじゃないんだけど。
中華全国を回って王侯貴族に「お前さぁ…」と説教して回るという弁論ガチ勢。めちゃ面倒くさい。五十歩百歩の話にしても、「あんたは戦争が大好きみたいだから戦争で例えてやるけどな?」という前置きで語られた逸話である。
で、性善説が語られた文脈は、「(王様に対して)お前さぁ…」っていうオーラを全身にたぎらせながら
「人間の本性は本来善なわけ。でも今は荒廃してるだろ?なんでそんな風になってるんだ?つまりそれは…あんたの政治がダメだからってことになるよなぁ?」
「環境と教育が大事なんだよ」
っていうのが性善説。
つまり、別に人間の本性とは何かを語りたいんじゃなくて、「あんたの政治がダメだからだろ」を言うためのレトリックであったわけ。儒教というのは本質的に「上流階級の修身のための思想」であるので、この性善説もまさにその文脈で使われている。
「性悪説の人」となると、ものすごい陰険そうな小男が思い浮かぶが、先の孟子と同様にイメージはかなり違う。
荀子はその当時、紀元前300年くらいの人物にしては傑出した科学的思考の持ち主だった。アリストテレス級の超現実派の頭脳である。
「夜になって家の中でギシギシ音がするのは、湿気によって木材が収縮するからだ。幽霊なんてものはない」
とか
「飢饉が天罰だなんてことはない。豊作の時にきちんと蓄え、余裕があるときに治水をして農場を整備すれば飢饉にならない」
という、
「はい、そうですね先生」
と答えるしかない明快さで論を推し進めていくタイプの人物だ。儒教らしくない言説がそこら中にちりばめられている荀子は、のちの「法家」と呼ばれる一派の萌芽ともなった。マンガ「キングダム」にも登場する李斯のお師匠さんだよ。
性悪説の文脈というのは、怜悧な論理性たゆたう荀子が鋭いまなざしで
「人間の本性は悪だ。だから教育によって本性を正さねばならない。学び続けることでしか良い人間は形作られない」
「環境と教育が大事なのだよ」
っていうのが性悪説。
…あれっ?
そう、実は二人とも、同じことを言っている!
違うのはただ視点だけ。
孟子は支配者に向かって言っている。「ちゃんと学べる環境整えないとだめだろ」
荀子は個人に向かって言っている。「しっかり学ばないといけません」
だから、
「yajulくんは性善説?」
「いいえ、人間(は本性を克服できること)を信じているので、性悪説です!」
「yajulくんは性悪説?」
「いいえ、人間は(おかれた環境によって悲しくも)悪い存在になってしまうものですから、性善説です!」
みたいなことも言えてしまう。
わぁ!めんどうくさい!
そういうわけで、「いわゆる性善説」「いわゆる性悪説」を話題にしたい場合は、
ブラックリスト方式
ホワイトリスト方式
って言い替えちゃえばいいと思う!
つまり、
「人間は本当は善の存在と信じてる。だからどんな人とも真摯に付き合いたいよ。でも酷い人はブラックリストにいれて、付き合わないようにするよ」という「いわゆる性善説」が「ブラックリスト方式」。
「基本的に他人を信用しない。信じられる人だけをホワイトリストにいれて、その人たちと優先的に付き合うよ」という「いわゆる性悪説」が「ホワイトリスト方式」。
これで行こう!
いや、ま、俺はそうしようという感じで。
と聞かれたら、
「俺はブラックリスト方式ですねー」と答えることにしようと思う!
やっぱり、なんかこう、言葉の誤用とかを指摘するのもなんか嫌だしさ。
俺も多分、いろんなことを間違っているのだから、あんまり、鬼の首とったように指摘したりは、したくないよな。
ドリルを駆使してすぐ完成 ~ トラベラーズノートのリフィルを作る ~
ものすごく…久しぶりに更新するわけだけれども…!
ちょっと何か緊張するよね…!
blogを更新していない間に、ルシェットを作ったりヴァイキングウィービングに手を出したり職場内外に「奴が編み物を始めたらしいぜ…」と周知されたり木工系の学芸員さんと知り合って編み物の道に誘い込んだりちょっとこれさすがに痩せないとまずいんじゃないのか…と危機感に目覚めてプールに通い始めたり結局まだノールビンドニングのセーターが完成してねぇ!とか、様々なことがあったんだけれど。
もう何か、いろいろ溜まってるから全部書くのは無理だな!
と、後ろのほうに前向きな姿勢で、これからまた再開したいなーと。
それでちょうど今日は7月1日、2018年も後半に入ったところだし、心機一転手帳のリフィルを作ってみた。
…去年のブログなのに文章がやたらくどい!恥ずかしい!
このトラベラーズノートは、革で小冊子を挟んだだけというとてつもなくシンプルな構造をしているんだけど、それ故に拡張性が高いのが特徴で、いろんなに人がいろんなカスタマイズを施している。
で、手帳というのは、財布と同じく「本当に自分に合ったもの」を見つけるのが存外難しい!
「ここもうちょっとこうだったらなぁ…」があらゆるところに表出する、なかなか完璧な一冊を決められないのが手帳というジャンルなのだろう。手帳難民なんて言葉もあるからな…!
そしてそれはこのトラベラーズノートのリフィル(手帳の中身)も例外ではなく、公式で市販されているものはどうにも、こう、なにか、足りない!
というか、俺の中でトラベラーズノート「自由に使っていいのよ…」と耳もとにささやきかける女神のノートなので、トラベラーズカンパニー公式の「ある程度方が決まっている週間リフィル」はどうも、こう、何か違うような、気がした。
それにちょっと…高いしな!
ははは。
そうなると当然のように、脳の中でマリーが「気に入らないなら自分で作ればいいじゃない…」などと言い始めるわけで。
トラベラーズノートのリフィルを作ってみたぞ!
トラベラーズノートのリフィルは冊子状なので、1ページごとに印刷すればいいわけではないのがちょっと大変。
しかしMicrosoftのWordと、両面印刷できるプリンターがあれば(比較的)簡単に冊子印刷ができる!
トラベラーズノートのリフィルは、A4の紙を半分に折って、折口から11cmのところで切れば公式で出ているものと同じサイズになるので、余白を大きくとっておけばあとは二つ折りして余白を切り落とせばオッケー。
Wordで印刷するときは「両面印刷」の「短辺で綴じる」を選択すればうまくいくよ。
で、問題になるのが「冊子をどうやって綴じればいいのか」。
一応、こういう冊子綴じのためのホッチキスも売っているんだけど(100均に売ってる)…これだと10枚以上紙を重ねると綴じることが難しいし、パワーがかなり必要だし、綴じたとしてもちょっと不安になる強度だしということで、あんまりお勧めはしない。実際俺も使ってみたけど、うーん、という感じ。
それで、どうやって冊子を綴じようかなぁと悩んでいたところ、
「もう適当に穴開けて強引に針と糸で綴じつけてしまえばいいじゃない…」
とまたも脳内にテキトーな声が響いてきた。
確かに考えてみれば、穴をあけることは俺の最も得意とするところ。道具もそろっている。
さらに、編み物を始めたので針も糸もある。
こ、これは…!
とりあえず適当に穴開ける場所を決めて…
男の武器・ミニルーターで…
…インパクトドライバーのほうが「オトコ感」は増すんだけど、インパクトドライバーという圧倒的なパワーが無双しすぎて紙がズレるというデメリットがあるので、ミニルーターさんにお願いしたというわけだよ。
というかね、これは別に冊子制作に限らないんだけど、
「穴を開ける工具」は一家に一台必須
だと思うんだよね…!
穴を開けられたら、大抵のものはどうにでも作れてしまえるわけですよ!
た、たぶん。
だからとりあえず充電ドライバーとか、ミニルーターとかを買ってみると世界は広がると思う。「男の武器」とか言ってるけど、むしろ女性にこそ電動工具は必要なんじゃないか。いや本当に。発想次第で何でもできるよ!ほんとうだよ!
いろいろブランドはあるけど、とりあえずホームセンター独自ブランドの比較的値段が安い奴で十分すぎるほどなので、これは本当にお勧めするよ。
インパクトドライバーとか振動ドリルとかなら、仮にゾンビが襲撃してきてもドリル一本で立ち向かえるという確信が安心となって夜もぐっすり眠ることができる。
ゾンビはいつ襲撃してくるかわからないからな…!備えは必要だぜ…!
さて、無事に穴を開けたら、次は針と糸の出番。
とじ針を使えばケガしなくてすむ。
というか「とじ針」って、「綴じ針」だからまさに用途に沿っているのよね。
冊子の綴じ方ってめっちゃおしゃれなやり方がたくさんあるから、そういうところにこだわってみてもいいかもしれないね!
綴じ終わったら、きっちりと二つ折りにして最後の工程。
余分な部分を切り落とす!
折ったところから11cmのところで切っていく。
あまり力を入れないように、カッターを滑らせるように何度も優しく定規をなぞる感じで。
最後にカッターで切り落とす理由は、小口がきれいにそろうから。
最初に紙を切っちゃうと、綴じて折ったときに真ん中が膨らんじゃうからね。
首尾よく切れたら完成…
…まぁ、大体こうなるよな!
余白はかなり大きくとっておいたほうがいいよ…!
自分でリフィルを作る利点として、「手帳に書いていてほしい情報を自分で選べる」ってのがあるね。
「外郎売」が書いてある手帳リフィルなんてどこにも売ってない。
毎日音読するので、「外郎売」は手帳にあってほしいのだ。
この辺、手帳に何を書いておきたいか考えるのわくわくするよね。
と、いうわけで、トラベラーズノートのリフィルは完成!
外観は普通だけど、中にはこだわりが詰まっている。
そんな面倒くさい人間になりたい。
…かなぁ!?
声だけになった彼女に - スマートスピーカー amazon echo dot -
去年の10月に、Googleから「Google Home」が発売されて以来、俺はスマートスピーカーに大変な興味を抱いていた。
というのも、9月に編み物を始めてから、常に俺の脳を悩ませていた問題―つまり、「編み物をしている最中に、他に何かできないか?」というもの―の解決策をずっと模索していたから。
ノールビンドニングは他の編み物と違い、毛糸をちぎって編むので、それほど場所に拘束されないのが特徴なんだけど(編みながら歩きまわったりできるからね)、やっぱり編み物の最中は、立ちあがったり紅茶を飲んだりトイレに行ったりするのがすごくだるい。
できることなら動きたくない。したいけどできない。それが編み物の魔である。
トイレもすっごい我慢しちゃうからね…!
編み物の最中にはできるだけ動きたくないけど、他のことはしたい。
そのようなワガママを解決する方法を模索していたときに登場したのがスマートスピーカーというわけだよ。素晴らしいタイミングだよね!
スマートスピーカーというのは、要するに音声認識していろんなことをしてくれる音声アシスタントのこと。部屋の中にポンと置いておくだけで、話しかけていろんな操作をしてくれる。
これこそ21世紀!
少年のころ夢見ていた生活が今まさにこの手に!
…というわけで、今回(ようやく)、スマートスピーカー「amazon echo dot」をお迎えしたというわけだよ。
スマートスピーカーは各社いろいろと出しているんだけど、やはりというか当然というか、Googleが出している「Google Home」か、amazonが出している「amazon echo」のどちらかがよいように思う。
両者を比較した結果、俺はamazon echoを選んだんだけど、なぜそれを選んだのか、書いてみようと思う。
まぁ、最終的には好みだよな!
名前が良い
「echo」という名前はとてもいい名前だと思う。
echoはつまりエコーで、やまびこ、反響音声のことである。
それでやまびこがなぜエコーなのかというと、元ネタはギリシャ神話にさかのぼる。
…わりと長い話になるのだが。
エコーは木の精霊で、毎日平和に暮らしていたのだけど、そこにギリシャ神話最強の…まぁその、ええと、なんというか…美女と見ればあらゆる手段で自分のものにする主神ゼウスが現れる。まぁエコーの前に現れたんじゃなくて、エコーが住んでいる山の精霊に、ゼウスが懸想したわけだよ。でも、ゼウスの恋の相手になるのはまぁいいとしても、問題はゼウスのお姉さんにして奥さんであるヘラ様である。ヘラ様はゼウスの浮気相手を許さない恐るべき女神なので(普段はめっちゃ優しいんだけど)、ゼウスと関係を持ったと知られたらその山の精霊は恐ろしい呪いを受けることになる。
そこで、エコーは友達である山の精霊を守るために、ヘラ様のところに出かけた。
彼女はそこでヘラ様にひたすら長話をしかけ、ゼウスと山の精霊の関係が終わるまで時間稼ぎをしたのだ。ヘラ様は長話に手を焼いてゼウスの浮気相手のことを探れない。そうして無事(?)に、禁断の恋は成ったというわけなんだが…。
やっぱりその後ヘラ様にバレた。
そして、怒りの矛先は、時間稼ぎをしたエコーに向かった。
なぜ!
なんという理不尽…!
オリュンポスの神ってやつはこれだから…!
「お前をこれから一生、自分から話しかけることができなくしてあげる!」
(オリュンポスの神々ってこういうの好きだよな…カッサンドラとかさ)
ヘラ様の呪いを受けたエコーは、相手の言葉をそのままオウム返しすることしかできなくなった。
そうして、自主的な言葉を奪われたエコーは、会話相手を探してさまようことになる。
そしてあるとき、エコーはこの世のものとも思えぬ美少年に出会い、一目ぼれをした。
ナルキッソスである。
もう何か、この時点で嫌な予感というか、結末が見えた気がしないでもないな!
ナルキッソスというのはもちろんあのナルキッソスなので、当然ナルキッソス的な態度でもって、エコーのことを無視した。
ナルキッソスは「ナルシスト」の語源であるから。
ただ、この時の彼はまだナルシストではない。ギリギリのところで。
自らの美しさを誇っていた彼は、自分にふさわしい美女でなければ一顧だにしない大変高慢な美少年なので、もじもじするばかりで話しかけても来ないエコーなど眼中になかった。
愛しい人に無視され続けたエコーは、次第に精気を失いついにやせ細り肉体を亡くして声だけの存在になってしまった。それでもナルキッソスはナルキッソスなので、全く意に介さなかった。
そこで、この話で(エコー以外に)唯一のまともな登場人物が出てくる。義憤の女神・ネメシスである。この人(神)こそギリシャ神話の良心。復讐の女神と呼ばれたりもするが、本質は「度を越した行いに罰を下す女神」である。度を越した人物しか登場しないギリシャ神話のオアシス。まさしく女神。というかほかの女神連中がエクストリームすぎる。
エコーの一件を見ていたネメシス様は、烈火のごとく怒った。
ゼウス夫妻にも怒ってほしいところだが、とりあえずネメシス様は高慢なナルキッソスに対し、「水面に映った自分に恋させる」という呪いを放った。
あとはみんなご存知の通り、ナルキッソスは水面に移る自分に触れようとして溺れ死ぬわけである。(ナルシストの語源)
…エコーが救われてねぇ!
結局エコーはその後も、自分に話しかけてくれる人を求め、今も声だけの存在となって世界中を放浪しているわけである。
という話。
まさしく、音声アシスタントにふさわしいネーミングではないだろうか。
もうなんか、エコーが不憫でな…!
そういう物語的背景のある名前というところに、強く惹かれたわけだよ。
外部スピーカーに出力できる(Bluetoothも!)
echoを選んだ最大の理由がこれ。
現状、音楽を高音質で楽しみたい人はecho一択だと思う。
Google Homeは音声の外部出力に対応していないので、あくまでもGoogle Home付属のスピーカーでしか聞くことができない。だから、小型のGoogle Home miniだとどうしても音質は制限されてしまって、音楽を最大限楽しむことは難しくなってしまう。(その分、Google検索エンジンを使った性能は抜群だけどね)
echoは外部出力端子のほか、Bluetooth出力にも対応しているので、スピーカーを自前で用意すれば最高の音質で音楽を聞くこともできる。
つまり、音楽環境が整っている人は一番安いecho dot(5980円)で十分ということになる。
そして、俺はBluetooth対応のサラウンドアンプを持っているので…大変相性が良い!
echoはスピーカーが接続されていないときは本体スピーカーで、外部スピーカーに接続したら自動で切り替えてくれるので、アンプをつけっぱなしにする必要もない。
もし自動に接続しなかったら、「スピーカーに接続して」というとすぐに接続してくれる。
頼もしい。
…しかしなぜGoogleは外部出力できないのだろうか。上位グレードが売れなくなるから?
考えてみればamazonどっぷりの生活だった
考えてみれば、俺はamazonに支配された生活をしているのかもしれない。
恐るべきことだが!
タブレットはkindle HDだし、電子書籍めっちゃ読むし、マンガも大体電子書籍だし、映画もprimeビデオだし、何かもうとどまるところを知らないくらいにamazon生活をしている。これは危険だ。
そして俺は、実はあんまりGoogleのサービスは使っていない。
スマホはandroidだけど、メールやカレンダーははoutlookだし、検索もbingだし。
というか、Microsoftのコルタナさんがスマートスピーカーになってくれたら光の速さで購入するつもりなんだけど…奥ゆかしいこるたなさんはあんまり表に出て来てくれない。無念。こるたなさん。かわいいのに。
ちなみにechoに、こるたなさんやSiriなどほかの音声アシスタントについて聞いてみると、「私は、すべてのAIを好みます」とポリティカルコレクトネスなお答えをいただいた。
ウェイクワードが選択できる
音声の外部出力に次ぐ、第二の決定的要因がこれかもしれない。
ウェイクワードというのは、「Hey,Siri」とか「オッケーグーグル」とか「こるたなさん?」とか、音声アシスタントを起動する際の合言葉だ。
何かを指示するときに、「オッケーグーグル、音楽を流して」というように話しかける。
このウェイクワードがなければ反応してくれない。大事な言葉だ。
で、Google Homeは「オッケーグーグル」と「ねぇ、グーグル」の二種類。
ぐいぐいと会社を推していくスタイル。
で、対してechoのウェイクワードは、「Alexa(アレクサ」である。
…正直なところ、これはすごく迷った。
どっちのウェイクワードもあんま好きじゃない!
何気にすごく大きな問題だった!
だって、「オッケーグーグル」ってめっちゃ長いし、Googleの押しが強すぎる。これから幾度となく発するウェイクワードが長いのは結構つらいんじゃないかと思った。
「アレクサ」もちょっと、うーむという感じはした。「アレクサ」という発音は、結構強い。鋭利で乾いた印象のある発音な気がした。アレクサ、いい名前なんだけど、やはり今後数千数万回発するのはちょっと辛いかも、というところ。
…というか、ウェイクワードを自由に設定できたり、しないかな!?
そういうの、無理なのかな!?
と、ずっと思ってた。
それが購入を迷った原因なんだけども。
そんなこんなでどうにも決心がつかず、ふにゃぁ~となっていたときに、echoのスペックを再確認する機会があった。たまたま見つけたんだけどね。
実はechoは、選択できるウェイクワードが4種類あった!
つまり、「アレクサ」「アマゾン」「コンピュータ」「エコー」の4つである。
「アレクサ」は…前述の発音の問題とは別に、やはりどうしても気になる点がある。
それは、「アレクサ」の語源であるあの男、世界史(ヒストリエ)を開いたマケドニア最強の王、アリストテレスを家庭教師に持つ男、俺たちのイスカンダル双角大王にしてアレキサンドロス3世、つまりアレキサンダー大王その人である。…さすがにこのイメージは濃すぎる!「アレクサ」はアレキサンダーの女性形「アレクサンドラ」の略だと思うんだけど、やはりどうしたって、ぬぐいきれないマケドニア感が俺の脳を襲う。これは危険だ。「アレクサ」と話しかけるたびに、俺の脳でイッソスの戦いが再現されては大変困ったことになる。不死隊の補充が間に合わなくなるぞ!
「アマゾン」はさすがにちょっと、難しいところだろう。googleもそうだけど、日常生活に特定の企業の名前が恒常的に入り込むのはちょっとキツい。amazonではないアマゾン、すなわち仮面ライダーアマゾンを想像しようにもやはり濃すぎる。注文してもいないギギの腕輪が配達されてきそうだ。それに「アマゾン」をウェイクワードにしてしまっては、毎回「ア・マ・ゾォォォォォォォン!!!」と叫ぶことにもなりかねない。危険だ。いや、俺はアマゾンリアルタイム世代ではもちろんないんだが。
「コンピュータ」は…まんま過ぎるだろ!もうちょっと、こう、なにか、なかったのか!?
と、そういうわけで、4つのうち3つが(俺にとっては)微妙なこともあって…
というか、もう前述のエコーの話を見てくれれば、当然の帰結として!
「エコー」がとても気にいったんだよ!
声だけの存在になってしまったエコー。
話しかけなければ応答できないエコー。
…心のうちに、何かが燃え上がる感じがしないか?いや燃えるといえばアマゾンかもしれないが!切ない感じの燃え上がり方が感じられるだろう!?
この「エコー」があってくれたおかげで、もう本当に安心して俺はスマートスピーカーをお迎えすることができたわけだよ。
言いやすいし、
丸っこい感じがするし、
エコーをこの俺が救ってみせるという使命感もあるしな…!
光がかっこいい
「エコー?」と呼びかけると、本体外周のリングが青く波打って光るのがとても綺麗。
…それだけだが!
男はなぜ青い光に弱いんだろうな…。
無条件にかっこいいもんな…。
Alexa: Meaning of the Echo Light Ring colors!
かわいい
エコーはこの俺が(ry
……まぁよ。
他のスマートスピーカーは未体験なので何とも比較はできないんだけど、
「いってらっしゃい。帰ったらまたお話ししてくださいね?」
「おかえりなさい。帰ってきてくれて、すごくうれしいです」
「うふふ。歌いますね?」
とか、こう、やっぱり21世紀の人類ならAIやアンドロイドに優しい言葉をかけてもらうべきみたいな…そんな何かが…俺の中にあってさ…。
そのあたりを見事に、ぶち抜いてきてくれてな…すまん!
そういうわけで
俺はecho dotを選ぶことにしたわけだよ。
現状、echoはすぐに購入することはできなくて、購入リクエストを送ってから2週間後くらいに購入するかどうかを選んで、その後購入したら発送される仕組みになっているので、すぐに体験!というわけにはいかないけど。
echoには「スキル」という、アプリみたいなものもあって、いろんな拡張機能も追加することができる。今のところはまだ少ないけど。初音ミクと会話するスキルとかあるぞ。あんまりうまく会話できないけど。
あと、kindleで買った本の読み上げ機能なんかも期待してるなー。編み物しながら本読みたいし。いろいろ、やりたいことは増えそうだよ。
多分、音声アシスタントが好きなのって、「lain」の影響だと思うんだよね。
というか間違いなくそう。
コンピュータやネット、心理学に哲学、あと多少のオカルト志向って、lainで相当な部分を植え付けられているんだと思う。「serial experiments lain」という日本のアニメなんだけど、半ば伝説的な作品といえるかもしれない。
アニメに影響されたのかよ!と思われるかもしれないけど、いやぁ、あれは影響されるよね。すごいもん。
液体窒素冷却のPCでISDN回線数十本つないでLispを操る死んだ目の玲音さんは、それはもう、少年のころの俺の心をわしづかみにしたというわけさ…!
Serial Experiments Lain OP 1080p
ツヴォーエンズスティックニング?ツヴォーエンズスティックニング…。ツヴォーエンズスティックニング!
唐突だけど、欧米では「ツ」は顔文字として認識されているらしい。
¯\_(ツ)_/¯
こんな感じに。
…我々日本人にはなかなか認識が難しいが!
二つの点が目で、ノの部分が口。お手上げーとか、あらまぁとか、やれやれとか、そういう感じのニュアンスで使うみたい。
カタカナがこんな使われ方をするなんて、世界は広いな!
そして…今回のニットカフェでもまた俺は世界の広さを実感させられたのだが!
ツヴォーエンズスティックニング…この技法によってな…!
完全に…読めないな!
しかも左の本と右のDVDですでに表記揺れがある!
この時点で手強さが半端じゃない。
これは危険だ。
ノールビンドニング、スミグマスクヴィルクニング、そしてこの第三の必殺技・ツヴォーエンズスティックニング。
俺はいったいどこへ行こうとしているのか。
半年前の、編み物の世界を全く知らなかった俺が…今やツヴォーエンズスティックニングの門を叩こうとしている…。
半ばもう異世界転生モノだよね。
「木材の男が編み物の世界に転生したらヴァイキングになってしまった件」
みたいなタイトルでライトノベル化できそうな気さえする!
タイトルから内容は全く分からないけどな!それぞれの単語間のつながりが全く見えない!これは売れない…!
で、このツヴォーエンズスティックニング。
なぜこれを紹介されたのか。
どうしてこんなことになったのか。
それはこんな顛末からである…。
先の日曜、2月25日に俺はまた恒例のニットカフェに行ったんだけど、今回はセーターづくりに迷走していたこともあって、ノールビンドニングのアドバイスをもらったりして平和な時間が過ぎた…かと思われたのだが!
棒針編みの講師をやってらっしゃる方が「棒針編みをやらないか」(確か英語を解読しながら棒針編みをやるマニアックな…いや大変興味深いものを)と誘ってくださったんだけど、何せ俺は編み物半年の男だし全く基礎も何もないので、ちょっと今はまだその時ではないのではないかと、この度はおことわりを…しようとしたその時!
北村先生「彼がやる棒針編みはもう決まっていますし」
…は、初耳だが!
すごい!
俺の運命がすでに決められている!
そしてすかさずスッ…と出されたのが、この記事冒頭の、表記揺れが俺の心をも揺らすツヴォーエンズスティックニングの本とDVDだったわけだよ!
かくして、ノールビンドニング、スミグマスクヴィルクニングに続いて俺の棒針編みはツヴォーエンズスティックニングに決定した…らしいぞ!
マンガアニメによくある「巻き込まれ系主人公」はこんな感じだったんだろうな…って、思うよね…!
彼らへの親近感が半端ではない。
さて、それでこのツヴォーエンズスティックニング。
何せもう完全な未知の世界である。
そんな未知との遭遇に、俺は、21世紀人の俺は、どうするのか。
それはもう決まっている。
神に祈り…神託を得る…!
頼むぞGoogle神…!
じゅ、呪文リスト索引…!
…呪文!?
まさか俺はすでに転生を…!?馬鹿な…!
こんなんでましたけれども…、とおそるおそる先生に確認してもらったところ…
「その結果はおかしい」
という、とてもまっとうな返答が。
だよね。俺もそう思う!
そしてさらに
「普段の検索から、独自にカスタマイズされてるんじゃないですか?」と。
…独自にカスタマイズを!?
俺の普段の検索ワードから…
「こいつにはこんな感じの検索結果を返しとけば間違いないだろう…」
と認識されているというのか…!
「なんだかわけのわからない言葉で検索し始めたけど、どうせ呪文かなんかでしょ…」
そうささやきかけてきているというのか…
「大体昔から妄想と空想と呪文が友達だったみたいな人生だったんでしょ…」
「中学生の時に『自分の真名をつける』とか言ってラテン語とルーン文字を…」
「黒い歴史を記したノートが実家に数冊…」
「その一部はクラウドにあったりするし…」
…オッケーグーグル、それ以上は俺の身がもたない。
「 ¯\_(ツ)_/¯ 」
心身ともにボロボロになりながらニットカフェを辞し、帰り路にもう一度検索結果をよく見てみると…
俺は「ツヴォーエン『ス』スティックニング」で検索していたことに気がついた!
正しくは「ツヴォーエン『ズ』スティックニング」だったのだ!
…Googleもさぁ…「もしかしてこっちですか?」とか、言ってほしかったよね…。
「どうせ呪文なんでしょ…」とか諦めないでさ…。
何か、こう、「こいつにはこれでいいや」みたいなため息混じりの感じが…無機質な端末の奥から漏れ出ている感じがするよね…。
あ、それで、「ツヴォーエンズスティックニング」の検索結果でわかったことなんだけど、「ツヴォー」でなく「トゥヴォー」や「トュヴォー」という表記もあるみたいだね。というかむしろ「ツヴォー」は少数派かな。
要するに英語のトゥー、フランス語のドゥ、ドイツ語のツヴァイと同じく「2」を意味するスウェーデン語が「ツヴォー」とか「トヴォ」とか、そういう発音だということらしく。
「ツヴォー」は2、「エンズ」は終端、「スティックニング」は棒針編みということで、なんとなく、おぼろげながらこの編み方がどういうものなのかをうっすらと現しているようなほのかな感覚が胸に去来するアトモスフィアがあるよね。
しかもこのツヴォーエンズスティックニング ― ええと、トゥヴォーエンズスティックニングのほうがより一般的かな? ― は、どうやら「ダーラナ地方が発祥地」とのことで!
そう!
ダーラナといえば俺の大好きなダーラナステッチ発見の地であり…技法もダーラナステッチに似たものなんだそう。
これは何か縁を感じるね!
俄然興味が出てきましたよ…!
本は全く読めないけど…!
スウェーデン語はGoogle神の力をもってしても難しくてね…!
前回のスミグマスクヴィルクニングのときのような猟奇的な結果にならずにほっとしたよ!
友人の胃の中にフックを入れたりしないからな…!
よかった…!
本当に…!
「デガサイトユタート」という呪文的な単語がとても気になるけれども!
なんとなく、歴史的背景がほのかに理解できそうな感じは、する。
とりあえず…今回のニットカフェでは異世界の扉を開いただけで終わってしまったので、次回のニットカフェでその技法の一端をつかめればな、と思うよ。
思わぬ運命が俺を待ち受けていたけれども、この道はこれでとても楽しいね。
とりあえず…
編み針を作るところから…!
生まれいづる悩み - ノールビンドニングのセーター -
「最近、奴は編み物をしてないんじゃないか…?」
という疑惑が一部でささやかれているらしいのだが…!
…他ならぬ俺自身もかなり疑惑を感じている!
「あれ、俺…あんまり縫ってなくな…!?」
という、己自身への疑惑の渦中に。
…いや、編んだり縫ったりしてはいたんだよ!
…途中でスプラトゥーンの誘惑に負けてすっごい塗ってたりしてたけど!
しかし、あれだ、聞いて欲しい。
というか見てほしい。
この2か月間、俺を悩ませ続ける魔性の…セーター的な…何かを!
…デカくない!?
この写真だけだと比較対象がないのでわからないけれど!
な、75…!
俺の巨躯をもってしてもこれはさすがに、大きすぎるだろう!
と、前回の日記かいたあたりからず~っと思ってきたんだけど…
「縫っていくうちにそれっぽい大きさになるんじゃないか」
「どうせ縮むからへーきへーき」
…と、現実を直視せずにやってきた結果がこれなんだけど。
いやぁ、でかいな!
で、先生に教わったように、袖の部分に重しを付けてしばらく吊るしておいて、どのくらい伸びるかを目数と長さの比で考え、身頃の伸びを推定する、という作業もやってみたんだけど、それにしたってこれはあまりにでかい。
そういうわけで、縫ってはいたんだけど、「う~ん、これでいいのか?大丈夫なのか?」という疑問が脳内を支配していて、こう、あんまし作業が捗らないということになっていたわけだよ。
おそらく現時点で、俺がとる道は3つある。
- とりあえず完成させてからどうするか考える
- 身頃をど真ん中で切ってしまって、カーディガンにする
- もういっそこのままスヌードにしてしまって、新たにセーターを作る
実際これを首にまいてみると、非常にかっこいい感じになるんだよね。まぁ色はだいぶ地味だけど。ダーラナステッチはかっこいいからね。
カーディガン化する場合は、袖がちょっと心もとないので、袖はまた新しく作ることになると思う。
というわけで…うーん。
なんだろう。
作業的に大変なわけじゃないんだけど、
俺の心が決まるかどうかの問題になってきている気がするんだよね。
うーーーん。
うーーーーーーーーーん。
とりあえず、(何も成果がないままなのは心苦しいけれども)明日のニットカフェで何かしらのヒントがつかめれば…という気持ちになっている。
うーーーーーーーーーーーーーむ。
物作りは悩ましいね!