不愉快な言説を脳内でミュージカルに変換してしまうと健康に良い

ネットを眺めていると必ずぶち当たるのが、不愉快な煽り叩きにヘイトに差別。

ここ数年はこれがもう本当に嫌で、ネットで情報収集も積極的に行わなくなった。何かしらの意見表明を見れば、それに対するリプライも予想できるし、そのやりとりをまとめてさらに叩く、みたいな構造もさすがに食傷気味だ。

なるべくそういった流れに乗らずに別の角度から物を見ようとしているけれど、それはそれで結構体力を使う。なぜ俺は無理にこんなことをしているんだろうと思ったりもする。

これは健康に良くない。

そう思っていたところで、この「不愉快な言説をまとめてミュージカルにしてしまう」という方法を見つけた!

ネットを見ていると、「不愉快な言説には実はそんなにバリエーションが多くない」と気づく。差別なんかはその代表で、差別は個性的でないからこそ広がるのだが、大体もう、見たことのある口調で見たことのある主張が何度も何度も繰り返されている。表現を変え、新しいネタを仕入れているけれど、その根底に流れるリズムは同じだ。

つまり、「そういう主張をする人」は、「ああいう口調」で、「何度も同じ事を言っている」。これはキャラクターとして設定しやすい。そしてこれは、ミュージカルととても相性が良いのではないか!?

何か不快な言説があるとする。それがこちらに流れてくる。不幸にして、俺はそれを読んでしまったとする。

そのとき俺の脳内では即座に登場人物が立ち上がり、己の熱い主張を音楽に乗せて朗々と歌い上げはじめる。これは面白く、また笑えるしかっこいい。彼らはそういう役割なのだ。どんな役でも歌う。それがミュージカルだ。俺は観客か、それともステージの後ろで物言いたげにポーズを取っている出演者か。あるいは幕の後ろで出番を待つ次の歌い手か。そう考えるととても楽しい。

そしてこれは、不快な話に限ったことではない。

昨今「嘘松」と呼ばれる、「本当に体験したことなのか怪しい創作実話風の話」にも応用できる!

話の真偽は確かめようもないし、確かめようとする行為がすでに不毛だし。

ならば…

歌えば良いんじゃないかな!

開帳される圧倒的な武勇伝。朗々と歌い上げる登場人物。「さすがディオ!俺たちに出来ないことを平然とやってのけるッ!」と盛り上がる脇役たち。それも全部含めてミュージカルだ。むしろもっと盛り上がっても良いはず。次に出てくるのは「それは嘘だろ」と糾弾する一派だ。ハードな雰囲気。こいつはクールだ。両者にどういう曲を割り当てるべきか。服装はどんなものだろうか?髪型は?

 

この方法で脳内変換すると腹が立たなくなるのは、「意見」を「表現」にすることで、「お前に言っているんだ感」が薄れるからだろう。「お前」から「みんな」に対象が変わることで、物事を客観的に見られるようになるのではないだろうか。

そう考えると、ラップ、ヒップホップもそういう文脈と言えるかもしれない。

ワルい男たちがワルい話をする。これは悪い。

しかし、ワルい男たちがワルい話を韻を踏んでリズムとフロウに乗せて語る。これはクールになる。「悪い」から「悪い表現」にすることにより、相手に伝わる裾野が広がるのだろう。

 

しかし、このミュージカル変換法を試し初めて痛感しているのが、「俺…ミュージカルの引き出し狭いな!」ということだ…。

そもそも、ミュージカルはミュージカル映画くらいでしか見たことなくて、ガチのミュージカルはそんなに経験をしていないんだよね。

なので、これを機に、ひとつミュージカルに足を運んでみようと思っている。

おそらく、そこには圧倒的な表現が待っているに違いないのだ。

すべてのダイナモ使いに勇気を

栄光と凋落をその身に引き受け、今や「塗れぬ!殺れぬ!顧みられぬ!」という三重苦に苛まれるダイナモローラー。

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前作では圧倒的な塗り面積と長大な射程距離を備えるモンスター級のブキとして鳴らしていたのだが、度重なる下方修正と今作の調整がトドメとなりすっかりBorn to be mildな仕上がりになってしまった。

自分は前作ではダイナモ一本でS+92までいき、平均はS+70~80というところだった。なのでまぁ下方修正されたと言っても立ち回りでどうにかなる範囲だろうし、いくら性能が落ちてもS位の実力はあろう…。と思っていたのだが、あまりの使用感の違いにビビってしまい、「もうダイナモはダメだ…」と儚く死んでいく滅びの快楽に身をゆだねたりもした。一週間前の事である。

しかし!

使っていくうちに、今作のダイナモという物がわかってきた気がするので、ここに書いておこうと思う。

もちろん、わずか二週間で絶望の快楽から希望の光明を見いだすという節操のない思考の変化が起きているレベルの俺なので、そんな参考にはならないかもしれないが…!

あと、現S帯の状況は体験してないので、あくまでもA帯までの話、もっと言えば、まだ立ちまわりが確立されていないC、B帯のダイナモ使い向けとして、聞いてみてほしい。

先ずは意識を切り替えよう

前作のダイナモと、今作のダイナモはそもそも全く異なる。

というのはみんな解ってはいるだろうけれど、なかなか慣れないもの。

俺もダイナモを使い始めてから、「これでキル取れないのか!?」「マジか!?」「これが届かないのか!?」「インクが消えるんだが?」「わかばダイナモを狩りに近づいてくる…!」と絶望しっぱなしだった。

何よりも、完全に舐められているのがハッキリわかるのが辛い。いやま、前作で暴れすぎたんだろというのは尤もなんだけど。バケツが、シューターが、ブラスターが、筆が、ローラーが、完全に「コイツはカモだぜ」と群がってくるのが何よりも辛かった。ダイナモ使いの心を折るのはたぶん、性能以上にこの状況にあるんじゃないだろうか。有名なダイナモ使いの動画を見ても、「ダイナモを舐めるな!」という気迫を終始感じた。そのくらいの気迫でなければならないようだった。それくらい、ダイナモは前作と今作で落差が大きい。

でも、いつまでもかつての性能を追い求めるわけにはいかない。

まずは落ち着いて、「ダイナモはメジャーブキではなくなった」というところをスタートラインにすべきだろう。前作のボールドの立ち位置と思った方が健康に良い。

ダイナモ教はその教義を、ボールド教やスクイックリン教に同じくしたのだ。

ダイナモの強みは?

圧倒的な塗り能力と、長大な射程距離。

というのは前作までのお話。

…と思いきや、やっぱり今作でもダイナモの強みはこの二つ。

まぁこれしかないんだからもう仕方が無いな!配られたカードで勝負するんだよ!

でも相当弱体化したとは言え、やはりこの両者はギリギリのところでダイナモを裏切ってはいない。チャージャーに匹敵する飛距離を誇る縦振りと、一度に塗れる面積はやはり健在だ。特に縦振りは、これからのダイナモアイデンティティとなるだろう。

ローラー使いなら当然だけれど、縦振りと横振りをとっさに切り替えられるように練習しておくといい。先にジャンプをしてから降るのが縦振り、先にショットをしてからジャンプするのが横振り。

ではどうやってキルを取る?活躍する?

まず、ダイナモは10キル取れれば上出来。15キル取れたらもうそのランク以上の実力を備えていると言って良いと思う。6キルとかでもそんなに卑下することじゃない。隣でヒッセンやマニューバー、ラピブラスシコラが20キル取っていても、ダイナモが同じ事を出来るわけではない。これはもう仕方ない。さらに、そんなに塗れる訳じゃないのでリザルト画面での存在感は限りなく薄い。それが今回のダイナモの宿命かもしれない。前作のジェットみたいな立ち位置かもしれない。

でも、それでもダイナモを握った以上は弱音は吐けない。

数字に表れぬ仕事をするのが今作のダイナモだと心に命じよう。記録が残らずとも、記憶に残らずとも、君の静かな活躍はダイナモ使いは理解する。少なくとも、ここに一人、ダイナモを応援する男はいる!大丈夫だ!

と、いうところで、ダイナモの戦い方を考えて行こう。

まずは、一撃に頼るのはもうやめよう。

あらゆる角度、あらゆる状況から一撃で敵を葬ってきたダイナモの姿はアルバムの中にしまっておこう。もちろん、慣れればかつてのごときパワーの片鱗を取り戻せる。しかし、一足飛びにそこまで行くことはできない。

今のダイナモは、

  • 敵の退路を斬って追い詰める
  • 足場を奪って地味に確実に敵を下がらせる
  • トラップと床インクを駆使して総合ダメージで敵を倒す
  • 地形を把握して的確にハイパープレッサーを当てる
  • 段差を利用して不意打ちを浴びせる

戦略的に戦う知的な立ち回りが要求されるブキになったのだ。

前作がマッシヴゴリラなら、今作は逆三角形の魔術師。見せ筋をチラつかせながら狡猾に立ち回るギャップが魅力のゴリラソーサラーになるのだ。STRではない。INT極振りのオーガといったステ振りで挑む必要がある。そう、俺たちはカンペキなカラダから脱皮し、カンペキな頭脳を搭載してこのバトルに挑まなければならない。えいえんのカンペキな頭脳ヴァーイ/ヴォーイになるのだ。腹筋は必要だが。

それで具体的な戦い方は

塗れ!

倒せ!

さすれば、俺たちの勝利だッ!

…身もふたも無い感じになってしまうが。

しかし結果的にスプラトゥーンの基本に立ち返ることになる。今までは暴力的な威力と優秀なサブとスペシャルに守られていたが、ムキダシのボディとなってしまった今作ではごまかしは効かない。基本を極める他に道はないだろう。

スプラトゥーンの立ち回りはなかなか言語化できないのが難しいところだが、何とか文章にしてみたいと思う。

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ダイナモはトラップと縦振りで相当な防御力を発揮する

とにもかくにも状況判断

これは前作からそうなんだけど、ダイナモはチャージャー並みの状況判断が求められる。弾数が少ないので、一発の塗りで複数の効果を得られるよう、考えて塗らないといけない。今作は縦振りがある分、顕著だ。

開幕時は、道を作ると同時に壁を、段差を、台の上を一緒に塗る。戦闘中におそらく使うであろう壁を初期から塗っておく。壁を使わないローラーはBに上がれない。そして、戦闘中も常に追い詰められたDIOのごとく「逃走経路」を把握しながら戦う。ダイナモは倒されてはいけない。常に前線少し後ろに位置し、トラップと縦振りで牽制し続けなければならない。味方の状況を見て、下がるときは思い切って下がる。隠れるときは思いっきり隠れる。

ダイナモは自分で前線打開はできない。なので味方が前線を打開するサポートに徹したい。ダイナモの縦振りは脅威だ。はるか遠くから足元を塗られて混乱しない敵は(あまり)いない。今作では、インクのスリップダメージが非常に大きい。だから敵の足場を奪うのはそれだけで大きく貢献できている。

そして、常に相手がどう動くか予測すること。

正面にいた敵がインクに潜ったら、8割の確率で左右に回り込みながら近づいてくる。その時、どこに敵がいくか、どう自分を倒しに来るか、予測する。上手く予測できれば、イカニンジャをも倒すことができる。わからなければ、敵のインクを切っていく。退路、進路を分断する。敵の選択肢を奪っていく。トラップに誘導し、さらに選択肢を減らす。そしてこちらの選択肢を増やしていく。つまり、敵の退路を切りながら壁を塗るなど。そして常に敵の予測をはずす。

2秒間の隙に命をかける

ダイナモは振りかぶってから1,2秒のラグがある。なのでダイナモで敵を倒すということは、敵に1,2秒の隙を作りだすことにある。隙をつくれたら、ダイナモの勝ち。作れなかったら、負け。なのであらゆる手段を用いて隙を作ろう。

壁を使って相手の上を飛び越したり、追い詰められたふりをして誘いこんだり。

俺は時に、普通に歩いて敵陣に入ることがある。塗れば音と色でバレるが、大体のイカは「ダイナモが普通に歩いてくる」とは思っていない。特にホッケの開幕時は、むしろてくてく歩いていった方が裏取りしやすかったりする。リスクはあるが、敵の隙は作れる。(さすがにS+級になると失敗するけどね)

トラップは強い

今回はインクを踏んだ時のダメージがとっても大きい。だから相手の足場を奪うクイックボムやトラップ、アメフラシが非常に強い。ダイナモは一撃を失ったけど、トラップとインクダメージと振りのダメージでの三段構えで十分に敵を倒すことができる。

debuffをまき散らす狡猾なマッチョ呪術師の気分で戦おう。

大仰な振りはブラフ。本命は貴様の足元だ!かかったなアホがッ!(ガッシィ‼)

…と、ダイアーさんのようにかっこよくいければいいんだが。そういう気持ちで戦っていくと充実感も増すし、健康にいい。

トラップは積極的に使っていこう。敵の経路だけでなく、前線少し後ろとかにおいておくと、敵の侵攻を遅らせることができる。トラップにかかった敵は一目散に逃げて行く。それで十分な効果だ。

ハイパープレッサーは十分に使える

何かと嫌われるハイパープレッサー。弱い、クソ、ゴミ、いらねぇ、メガホン返せ。

…しかし思い出してほしい。まさに前作のメガホンレーザーも、最初期にはゴミ扱いだったことを。

そして新規の人も思い起こしてほしい。サーモンランのタワーのウザさを。

タワーのハイパープレッサーがなぜあんなに強いのか。

それは言うまでもなく、正確なエイムがあるから。つまり、俺たちも、正確なエイムがあればそれでいいということになる。まずはマップの構造を熟知して、敵が潜みそうな場所、敵が必ず通る場所、敵の進軍を塞げる位置を把握しよう。サンポ大事!

そうすれば、一発のプレッサーで2キル持っていくことも可能だ。ヤグラならもっと有用。十分に使える。大丈夫だ。

おそらくプレッサーはステージへの理解が進んでいくと強くなっていくスペシャルだ。今は使えない、ゴミ、といわれていても、そのうち徐々に価値が上がっていくと思っている。すべては使い手次第ではあるので、お手軽なスペシャルじゃない。でも、その分、使っていて楽しいものになると思う。

マッシヴ呪術師の必殺の闇属性ビームという心持ちで、ハイパープレッサーを放ってみてほしい。闇属性というのはクセがあるものだし。今の俺たちにおいて他に闇属性はいない。ゾンビから転生したリッチのごとく、変幻自在の戦いを展開していこうじゃないか。

最後に

今後、ダイナモは強化されるかもしれない。

きっと強化されると思う。どういう形でかはわからないけれど。

失われたSTRを取り戻すかもしれないし、よりINTが重要な感じになるかもしれない。闇属性が強化される可能性もある。

その時に「あの苦難の時代をこいつ一本で乗り切ってきたぜ…」と不敵に笑えたなら、きっと腕前は一段階も二段階も上がっていることと思う。

ダイナモ使いに今を乗り切る勇気を!

 

 

 

 

スプラトゥーン2はマニューバーを基準として調整されている、と考えるとしっくりくる。

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発売から一週間経ち、評価が固まってきた感もあるスプラトゥーン2

わずか一週間の間にブキ追加2種、第一回フェスの発表、そしてバランス調整が早くも入るなど、イカ研究所の気合も感じられる本作。

個人的に驚きだったのは、「なぜこういうバランス調整をしたのか」を運営がTwitter上で明かしたことだったかな、と思う。

 こう言ったバランス調整の意図を発表する運営はなかなか珍しいと個人的に思うし、任天堂はなおさらこう言うことはしないイメージだったので、この件は驚くとともに、相当神経使ってるんだなとも思える。

なにせSwitchを爆発的に普及させるキラータイトルだし、ここで変なことをやってしまうと早々に飽きられかねない。俺自身も割と結構、ハラハラしながら見守っている。初心者の人、ちゃんと楽しめてるかなぁ、とか、いらぬことを。いや、これは本当に面白いゲームなので、恐れることなく飛び込んできてほしいという確信はあるんだが!それでも、ちょっと、一抹の不安はあった。

その不安というのは、前作のプレイヤーの少なからず感じているところの「過剰なバランス調整によって爽快感やブキの個性が失われているんじゃないか」という部分。

多く聞かれるのは、

  • チャージャーがポジションをとれない
  • 対チャージャー要素が多すぎてまともに戦えない
  • リッターとダイナモ、ノヴァの露骨な弱体化
  • ローラーがキルをとれない、塗れない

というところかと思う。

正直俺もこの調整にはかなり苦しめられている。今まで人速ダイナモをずっと使ってきた俺も、さすがにこの「塗れぬ!殺れぬ!顧みられぬ!」という三重苦に加えて敵味方双方から浴びせられる「ダイナモなんて使ってるんじゃねぇよ…」という冷ややかな視線には相当なダメージを負っている。チャージャーも、ダイナモも、「負ければ戦犯、勝っても評価されない」という苦しい状況に、己の腕と愛を試されている。(この辺、言いたいことはいっぱいあるけれど…)

と、愛するダイナモを破壊された悔しさを存分に発露したいのはやまやまなのだけど、ここで冷静に「スプラトゥーン2は何を基準にバランス調整されているんだ?」と考えてみた。すると、いろんなことが分かってきた。

 

おそらく、というか言うまでもなく、スプラトゥーン2の主役はマニューバーだろう。パッケージに一番大きく描かれているのもマニューバーのガールだし。

そこで、マニューバーを中心に据えてバランスを考えてみる。

まず、前作の世界に現状のマニューバーを放り込んだらどうなるか。…答えは言うまでもなく、とても強武器には食い込めない。スライドがあったとしても、シャープマーカーくらいの存在感に落ち着くはずだ。キル能力が強いわけでなく、塗り特化というわけでもないが、機動力という強みはある。

このマニューバーをバランス調整の中心に据えて考えると、まず、天敵が見えてくる。

ローラーだ。横に広い一撃を持つローラーはマニューバーの天敵として立ちふさがる。圧倒的な射程と塗り能力を持つダイナモ、一瞬で足場を奪うクイックボムを持つカーボン、必殺のダイオウイカを秘めるロラコラ、いずれもマニューバーには重い相手だ。また、特筆すべき塗り能力を持ち機動力もあるパブロも苦手な相手といえる。そこで、ローラーはマニューバーが相手にできる性能に落ち着くことになる。強力な振り攻撃は射程が減り、マニューバーのスライドが有利に働きつつローラーに機動力を与える縦振りを追加。ダイナモの横振りとカーボンの縦振りの確殺範囲はマニューバーの射程より少し短い。「マニューバーが対抗できる範囲」に各ローラーの性能が調整されていると考えることもできる。ダイナモとヴァリアブルの縦振りが遅いので、縦振り見てから前方スライドで距離を詰めて始末することも可能だ。パブロがスプリンクラーを失ったのも、塗りが強すぎるブキになってしまうからかもしれない。

次に、チャージャー。射程が短く、塗るために身を晒すマニューバーはチャージャーの格好の餌食になる。チャージャーの調整は他に様々な理由があるのだろうけれども、弾速の低下などは「遠くの相手を狙いにくい」という点でマニューバーに有利に働く。チャージのタイミングを計ってスライドでかわすこともできる。そのほかアメフラシやミサイル、アーマーなど、定点チャージャーに対抗する手段は数多く用意されている。チャージャーはその代わりチャージキープを得たが、それはつまり中距離の殴り合いに参戦しなければならないとも言える。シューター、マニューバーの土俵に降りて行かざるを得なくなった。ローラーや後述のノヴァに比べて、チャージャーはデメリットに対してメリットが少ない。現在のチャージャーは苦しいだろうと思う。(そんな中で元S+のチャージャーたちの異常なエイム力には脱帽しっぱなしだぜ…)

その他、地味なところで、ノヴァブラスターもマニューバーの天敵となる。近距離でスライドしながら戦うマニューバーに対して、ノヴァの近距離攻撃力は脅威。というわけで(なのかどうかはわからないが)、ノヴァは微妙に射程が長くなり、、ジャンプ撃ちの精度が落ちた。微妙に射程が伸びたのは利点だが、スライドで超近距離まで詰めることのできるマニューバー相手には不利になる。なかなか面白い調整といえる。

また、追加予定の傘型の武器、シェルターもマニューバーのいいライバルとなるよう調整されていると見る。シェルターはショットガン型のブキなので、マニューバーと射程が被る。そして傘を展開して防御もできるが、背面はがら空きとなってしまう。ここで、防御のシェルターと回避のマニューバーの近距離ガチ戦闘が起こる可能性が出てくる、というか多分狙ってやっていると思う。まだ傘は追加されていないのでヒーローモードで使うだけなのだが、マニューバーといい勝負ができそうな具合に見えた。

 

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そのほか、爆風系もスライドでぎりぎり逃れられる範囲に納まっているような気もする。スーパーチャクチの確殺範囲は1.5本、マニューバーのスライドは1本。普通にやりあっている状況なら、スライド一回で範囲から逃れることができる。ガチホコショットの爆風もこのくらい。

 

と、こう言う感じで、マニューバーを基準にしてスプラトゥーン2を見てみるといろいろな部分が納得できることがわかった。もちろん、イカ研究所がそういう意図でやったのかどうかはわからないけれど、少なくとも俺個人はこれが納得のいく調整理由だと感じている。

ゲームスピードが前作に比べてとても速く感じるのも、マニューバー基準の結果なのかもしれないなぁ、とかね。

いずれにしてもスプラトゥーン2はまだまだ始まったばかりで、これからどのようにゲームバランスが変化していくのか、ライブ感覚で楽しんでいきたい。

 

 

自分の遺伝子を変化させて、理想の人生を手に入れる

・・・などという話は、センスオブワンダーにインセインをひとしずく加えたようなもので、「お前はいったい何を言っているんだ」と思われるかもしれない。

でも、「遺伝子は変わらない」というのは一面では正しいけど、完全にその通りというわけではなくなっている。。

まずはこのTEDを見てほしい。

見る暇が無いならこちらの翻訳を読んでみてほしい。

きっと常識がガラガラと崩れゆくと思う。

リッカルドサバティーニ: ゲノムを読んで人間を作る方法

www.ted.com

機械学習によって、遺伝子からその人の顔つき、身長、体重を逆算できる」

しかも現時点で、身長は5cmの精度、体重は8kgの精度で。

今後さらに技術が発展したら、犯行現場に残された犯人のDNAからかなり正確な犯人像を出力できるようになるだろう。驚くべき未来に、もうすでに俺たちは足を踏み入れているのだ。

身長と体重が遺伝子から逆算できるということはつまり、成長にともなって、自分の遺伝子が変化しているということになる。もし、受精した瞬間から遺伝子が全く変化しないのであれば、今現在の自分の身長体重を逆算できるはずがないから。

つまり、遺伝子は変えられる。俺たちは遺伝子の乗り物でも、奴隷でもなく、遺伝子に対してある程度、対抗し得る存在なのかもではないか。

と、ぼんやりと思っていたところでこの本を読んだ。

 

 …例のごとく、「やりたい邦題」なタイトルになっているのだが、原題はInheritance(継承)。俺たちは何を遺伝子によって継承するのかを、遺伝学者さんが非常に多くの例を挙げて説明してくれている。

その例示が圧巻で、遺伝学者にかかれば、ほんのちょっとした体の形質の違いから、「この人はこれこれの遺伝子障害があるな」とわかるのだという。まつげが二重の人はこう、親指が外側に90度曲がる人はこう、手相がこれこれの人はこう…。コレを読むときは、是非鏡を手元に置いて読んでほしい。もしかすると、様々な「遺伝子のエラー」に気がつくかもしれない。そして、それらエラーのいくつかは「見た目」でしかわからないというのも面白い。

この本を読んで様々な衝撃を受けたんだけど、一番はこの「見た目でしか判断できない、遺伝子のエラー」だったかもしれない。

というのも、つまりこれって、「人相見」や「手相占い」に通じるからだ。

「見た目」で判断する遺伝子のエラーがある。そしてそのエラーを持っている人(エラーのない人なんか居ないけどね)は、これこれの病気にかかりやすいとわかっている。ならば、「人相見」や「手相占い」は、遺伝学的にそんなおかしな事はしてないって言うことになる。手相と人相を見て、「あんたはこの病気になるから気をつけなさい」みたいに偉そうに言われたとして、それは単なる当てずっぽうでなく、それが数万、数十万の「見た目と病気の関係性」の蓄積の結果だとしたら、それはそれで信をおけるものなのかもしれない。(いんちきが9割にせよ)

中医学(漢方や鍼灸)は、「とりあえずひたすら試してみて良い結果を蓄積する」という、半ば力業で成り立っている医学だ。そもそも、始祖の神農その人(神だけど)からして、「あらゆる草を舐めてその効能を確かめた」力業の人(神)なのだから。

俺の中で、中医学と最新西洋医学がうっすらと重なった瞬間かもしれない。もちろん、全てを鵜呑みにすることは危険にせよ、人の人相、手相をひたすら観察し続けたデータというのはそうそう軽んじていい物ではない気がしてきた。

また、この本の中で、腸内細菌によって行動や思考が支配された例などもあって、これは先日出版された心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までにも通ずる話かと思う。

中医学には『脳』の概念は最初はなかった。腸や内臓によって思考や性格が影響されると考えられていて、それももしかして一面の正しさはあるのかもしれない)

さて、ずいぶんと脱線したけど、遺伝子の変化を自分で起こせるかという話だが。

…残念ながら、遺伝子を自らの意思で書き換えることは出来ない。

お前…タイトル…と思われたかもしれないが、その、なんだ、最新科学の話って、案外こういう、夢を見させておいて結論は地味なところに落ち着くっていうパターンがあってな…。

しかし重要なのは、これこそがこの本の最も重要な点だが、「遺伝子ではなく、『遺伝子の発現度合い』が重要なんだ」ということ。

蜂の幼虫にロイヤルゼリーを与えれば、遺伝子の中の「女王バチスイッチ」がONになり、与えられた蜂の幼虫は全員女王バチになる。遺伝子は設計図だが、その設計通りにコトを運ぶかどうかは、まだ俺たちに選択肢が残されている。大いに。

遺伝子は変化しない。しかし変化したかのごとく見せるのは可能だし、今までの俺では発現させられなかった遺伝子、かっこよく言えば秘めたる力を解放することは出来る。

いじめられた記憶は遺伝子を覆い、戦う力を奮い立たせる能力を封印してしまう。遺伝子に変化はないが、そこにシールを貼ることは出来る。出来てしまう。無意識のうちに。

遺伝子の可能性は有限だが、その有限は極めて広い。有限の中に無限を見いだすのは可能なはずだ。

武将の「名前」で楽しむ三国志 -主人公の蜀-

無双したりカードゲームになったり女体化したりと忙しい三国志の武将たち。

文醜」とかものすごいイカツイ名前でも美少女になったりするから面白い。

もうすっかり「そういう名前のもの」として、記号として受け入れられている感がある。まぁそれについていろいろと言いたくなる人も多いと思うけれども。

で、そんな彼らの名前。

彼らは漢字の国の人物たち。

ならば当然、その名前にも大変な意味が込められているはず!

しかも古代史の人物たちであるから、現代とは名前の重さも桁違いのはずだ。なんせ「字(あざな」なんてものがあったくらいだしね。

そういうわけで、主要な人物の中で「これは面白い」と思った「名前」を、まとめてみた。

 三国+後漢全部やるととんでもなく長くなりそうなので、今回は蜀の人。

個人的に見る傾向としては、主人公感の蜀、センスの呉、意外と地味な魏、という感想。そのほか、袁紹とかもすごく面白いよ。

主役になるべくしてなった蜀の人たち

劉備が建国した蜀漢三国志演義の主人公勢。

なぜ彼らが主人公なのか、という理由はいくつもあるけれど…

「名前」を見ればもう一目瞭然。

蜀のおなじみの4人の名前を見るだけで、「これはもう主人公だわ」と納得できる。

  劉備 玄徳

  関羽 雲長

  張飛 翼徳

  趙雲 子龍

もうお分かりだと思う。

「徳を備える」主君の下に、「羽、雲、翼、飛、龍」という、空や飛翔に関する名前を持った武将が並ぶ。これはもう主人公。まさに主人公。モータルコンバットのShujinkoは主人公じゃないから気を付けてくれ。

ちなみに張飛の本当の字は「益徳」なんだけど、三国志演義では「翼徳」に改められている。理由はもう、見ての通り。主人公勢の名前の意味を揃えたくなるのは作家の性。それに、趙雲よりも書く上の張飛が、名前的に趙雲にまけるわけにはいかない。これはもう、作劇上、仕方ない。

そして、彼らを補佐する軍師の異名は臥龍諸葛亮)と鳳雛ホウ統。できすぎている!まったく、やりすぎだぞ、羅貫中

蜀の五虎将軍の残りの二人の名前もまた見事なもの。

  黄忠 漢升

  馬超 孟起

黄忠は完全に主人公勢の名前。なんといっても蜀の建国の大義名分である「漢への忠義」を完全に体現している。これはもう、五虎将軍に入れない理由がない。派手な活躍シーンを入れない理由がない。一方で、不運の復讐鬼馬超さんは「蜀っぽいネーミング」ではない。この辺も、作中で蜀の臣下としての活躍がないことの隠喩になっていてとても良い(よくないけど!)。でも、「(乗り越える」と「(始まる」で、「俺を始まりとして、超えていけ」的な意味にも取れる。ゲーム的に言うと、序盤で死んでしまう歴戦の強者的なポジションになりそうだ(実際にそういう立ち位置でもある)。

そして、蜀漢の名前」として絶対に外すことができないのが、この二人。

  劉封 (字は伝わっていない)

  劉禅 公嗣

劉封って誰やねん、な人も多いと思うけど、彼は劉禅が生まれる直前に、劉備が養子として迎えた人。なんで後継ぎが誕生する直前に養子縁組なんかするんだよ!と突っ込みたくなるが…。作中でもきっちり突っ込まれている。後継者問題を新たに生みだすようなものだしね。

しかし、この二人の兄弟は、二人でなければならない理由がある。

史実なので理由も何もないけど、三国志演義の作者としては最高に「おいしい!」と思う理由がある。

この二人の「名」を並べてみると、「封禅(ほうぜん」になるからだ。

封禅というのは、中華皇帝が天と地と人に対して自らの即位を知らせる、いわば戴冠式である。これを行うことが皇帝の条件といえる。

つまり…

この二人の名前によって、「蜀漢が正当な漢の後継である」ことを内外に示したということ。そしてもう一つ、ものすごく重要なことは、劉備が「俺は皇帝になるぜ…?」と宣言したに等しいこと。つまり、「皇帝になるべくしてなったんですよ」という小説的なギミックと、「稀代の梟雄の野心の発露」という史実的な意味を併せ持った非常に良くできたネーミングなのだ!

そして、この「封禅」を構成する兄弟のうち、兄が、死ぬ。他でもない、父親の命令によって、殺される。おそらくは後継者問題を解決するために。

小説的に見れば、ここで劉備は自らの未来を自分で摘み取ってしまったということになる。

「封禅」を自ら壊した劉備は、程なくして道半ばで倒れる。しかもその時、「息子が頼りなければ君が取って代わってくれ」と諸葛亮に遺言をして。劉備の字に使われた文字、「(暗い、ほのかに」は、彼と彼の国の未来を暗示していたのかもしれない。

となった劉禅は何を思っただろうか。劉禅が何を思ったのか、どういう人物だったのかはあまり語られていない。暗愚、無能といった評判が先行して、彼個人のことはうかがい知れない。彼は40年もの間、平和に蜀の地を統治していたというのに(魏の皇帝は平均5年、孫権でさえ23年)。劉禅はどういう人だったのだろうか。そして、伝わっていない劉封の字は、どういう意味の漢字だったのだろうか。

 

…と、いう感じに、名前の漢字を見るだけでロマンに浸ることができる。

他の国の武将たちにはあまり見られない、こういう「楽しいこじつけ」がはかどるのも蜀の人々の特徴だ。これはもう主役にするしかないよね。

 

で、最後はこの人。

  姜維 伯約

維と約で、「約束をつなぐ」という意味になり、これもまた、あまりのできすぎっぷりに拍手を送りたくなるのだ。

 

 

 

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ちなみにみんな大好き魏延さんは、「延」と「長」で同じ意味になるという割と一般的な…悪く言うとあんまり面白みのないかんじなので…すまない!(そんなに長いんなら諸葛亮の祈祷の邪魔するなよ!と突っ込みたくなるが!)

同じく「同義語型」で有名な人では張遼がいる。魏延は「延長」、張遼は「遼遠」。

字の「文」や「公」などはなんというか、日本で言うところの「よしお」「わるお」「ふつお」の「お」に相当するので、「意味」としては考えない。「伯」や「孟」は長男をあらわす文字なので、これも同様に。

エクスカリバーは本当に、本当にすごいんだという話

先日、「刀の鞘職人」に会った。

刀の鞘を作る職人。ちゃんと実在する。

考えてみれば当たり前だ。刀鍛冶がいて、研ぎ師がいて、それで刀が出来上がるわけじゃない。鍔職人もいるだろうし、目釘を作る人も多分いるだろう。刀身本体は長持ちしたとしても、それ以外は消耗品である。だから刀鍛冶よりも研ぎ師そのほか、周辺の職人のほうが仕事は多いくらいだったかもしれない。

それで、鞘である。

鞘に向いているのは朴(ホウ)の木で、これは緑がかった柔らかい木で、触るとしっとりとした触感がある。英名のポプラの方が有名だろうか。ホームセンターでも見かける、その世界ではメジャーな木だ。

刀の鞘というと漆塗りの鞘をイメージすると思うが、刀を保存するときには漆塗りでなく、無塗装の鞘にするらしい。無塗装だと湿度が適度に保たれ、刀が錆びにくいという。

そう、刀の天敵は錆だ。

ハガネの包丁やナイフを使ったことがある人はわかると思うけれど、とにかく錆びる。あっという間に錆びる。少しでも気を抜いたら錆びる。アウトドアナイフなら黒錆び加工なんかで対応できるけど、包丁や刀となるとそうはいかない。ダイレクトに水に接するのが包丁と刀だからだ。肉も魚も人体も、70%くらいは水であるからだ。

桜田門外の変で、その日天候が雪だったために井伊直弼を護衛していた侍は刀に袋をかぶせており、それによって応戦に手間取った…という話もある。護衛任務の者が袋をかけるほどに刀の湿度管理は大変だったわけだ。

剣は、水に弱い。

今でこそ俺たちは錆びない金属に囲まれているが、それ以前は武器に水分は厳禁であったはずだ。何せ管理が面倒だ。面倒なことは避ける。桜田門外の変の護衛のように。

そう考えると、すごいのはエクスカリバーだ。

アーサー王の剣。

エクスカリバーは本当に、すごい。

なぜなら、エクスカリバーは水の中から出てきた剣だからだ。

湖の中から、剣がぬっと出てくる。

たったこれだけの、ともすれば間抜けなシーンだが…このシーンは要するに「この剣は濡らしても全く問題ないんですよ?」というシーンなのではないか!?湖の乙女が授けたこのエクスカリバーは、その登場場面から全力で「これすごいよ?」と宣言しているのでは!?

エクスカリバーというと、岩に刺さった剣と湖の中から出てきた剣の二つの話があって混乱するのだが(二つは別物だとか、鍛えなおされたんだという説もある)、「真のエクスカリバー」とされるのは、湖の中から出てきた方だ。これは、「どっちがすごいか」という点からみると、とても単純に納得できる。

岩に突き刺さった剣よりも、湖の中から出てきた剣のほうがすごい。

剣を岩に刺す、というのは、わりとけっこう可能性がある現実的な光景だ。

しかし当時、「水に濡れても錆びない剣」というのは、それこそ魔法の剣だろう。

常識的に考えてあり得ない。筋力自慢の猛者ならば岩に剣は突き刺せるかもしれない。しかし、剣を錆びさせないことは誰にもできない(当時は)。

「水から出てきた」

それだけで圧倒的な魔力を感じさせただろう。登場シーン一発で「これはやべぇぜ…」と読者を慄かせている!(と思う)

しかもアーサー王物語の舞台はイングランド。霧の国だ。

霧の国の聖剣として、エクスカリバーに最もふさわしい属性は水ということだろう。水は金属に決してなじまない。金属は電気を纏い、炎もその身に宿すだろう。しかし水とは決して交わらない。だがエクスカリバーは水から生まれている。当時、水に触れても錆びない金属は黄金だけだったろう。エクスカリバーは黄金と同じ性質を持ち、なおかつ岩に突き刺さるほどの硬度を持つ。魔力を宿した剣として、この上ない性質を持っている。極めて現実的な背景を持つ魔剣なのではないか。

そう考えると、「金の斧」の話も似たような背景があったのかもしれないと思う。

木こりが斧を水の中に落とすというのは大失態のはずだ。スマホをトイレに落としたのと同じくらいの失態。修理に何日も待たなければならない。そのあいだ仕事はできないのだ。現代人と同じく、水没は生死にかかわる大問題。これはまずい。

しかし正直者のナイスガイは、「水に落ちても錆びない」金の斧を無事に獲得する。これはすごい。まさに神さまからの贈り物だ。正直者がiPhoneを水没させたら、ジョブズ神が流暢にプレゼンしながら防水仕様iPhoneをくれたようなものだ。これこそまさに最高の体験。それに対して嘘つき野郎は修理費を自費で払わねばならない。ジョブズ神も沈黙だ。全くざまぁみやがれといったところだぜ。

話は逸れたが、「水に濡れる魔剣」の話は他にも例がある。

東洋の水の国、我らが日本の妖刀・村雨だ。

南総里見八犬伝に登場するこの妖刀は、鞘から払えば霧が立ち込め、振れば剣先から露がほとばしり血糊を瞬時に洗い落とし切れ味を維持するという、抜けば玉散る魔性の剣である。

刀の手入れは昔も今も大変のはずだ。しかし村雨はそのような現実とは無縁の魔力を帯びている。突拍子もない演出より、しみじみとすごさを実感できる物のほうが「冷静に考えたらすごい」感がある。iPhoneに防水機能がつくばかりか、自動消毒機能が搭載されているようなものだ。…そこまでいくとちょっとガラパゴス感があるが。

霧の国の聖剣エクスカリバーと、水の国の妖刀村雨。両者の気候条件から考えると、「ありえないほどすごい剣」を描写するのに、水属性以上のものはなかったかもしれない。

しかもエクスカリバーの鞘には回復能力があるので、これもまた水属性っぽさに拍車をかけている。

今、水属性が熱い。俺の中で。

「的を射る」はあんまり「的を得て」いないんじゃないかと思う

「的を得る」と発言したら、光の速さで「的は射るもので、得るものではない」というコメントがキミに届く。

「的を得る」の誤用を正すのはお手軽なマウンティング方法になっているからかもしれない。気軽に「奴は無知だぜ」と宣言することができるからかも。

しかし、果たして「的を得る」のは間違っているのか、ずっとモヤモヤしている。いや、モヤモヤじゃなく。俺は間違ってないと思っている。全然いいと思っている。大いに使うべきとすら思っている!

以下に、その理由を3つ挙げてみる。多分、いろんな人が言ってるのと被るとは思うけど。

元ネタからして「得る」である

「的に矢を当てるという慣用表現」の元ネタは、あの男である。俺たちの誰もが知るあの男。弓術に人間の真実を見た男。弓術こそがエグゼクティブのやるべき武術であると確信を得た男。歴史に燦然とその名を残す…というかむしろ歴史を書き残した最初期の男、善なる人間とは何かを今もって俺たちに教え続けている不滅の男、今も数十億人に影響を及ぼし続けている偉大なるあの男が元ネタである。

孔丘先生です。孔子その人。

「なんでわるいことしちゃいけないの?」という素朴な疑問に、

「神が見ているからだよ」と答えるのでなく「自分がいやなことは他人にもしちゃいけないからだよ」と答えるのは、間違いなく孔丘先生の影響。

その孔丘先生の言葉に、こういうものがある。

 射有似乎君子 失諸正鵠 反求諸其身

弓術は君子の道に似ている。的の真ん中を外しても、それは誰のせいにもできない。自分の中に原因を求めるしかないのだ。(中庸 第十四章)

同様のことを、孔子の弟子の弟子の弟子…?である孟子も言っている。「仁ってのは弓術と同じだよ。隣の人が自分よりうまく当てたからってその人を恨むわけにはいかない。自分が精進しなければね」

意外に思われるかもしれないが、弓術は当時の儒者にとって必須だった。孔子の開いていた塾でも、弓術は必須科目だった。日本の武士が「弓馬の道」として弓術を尊んだのも、根底には儒学の影響があるのかもしれない。弓道は元をたどれば孔子に至るんじゃないか。

で、先ほどの孔丘先生のお言葉。「失諸正鵠」というのは、「的を外す」という意味。正鵠(せいこく)というのは、弓道の的のど真ん中の赤い丸のこと。孔丘先生は「正鵠を『失った』からといって…」と言っている。「失う」の反対語は「得る」である。だから、「正鵠を得る」の言葉がある。

当を得る、的を得る/射る、正鵠を得る、これは全部「あたった」という表現であり、その根底にいる孔丘先生が「正鵠を失したから~」と言ってるので別に「得る」でも問題ないと思うのである。

的中範囲の問題

「的を射る」は、あんまり「当たった感」がないと思う理由は、その的中範囲である。いや、これは俺の単なる感想になるのかもしれないが。

まず、先ほどの孔丘先生の言。孔丘先生は非常に要求レベルが高い。「正鵠を失した」と言っているように、弓術をやるなら的のど真ん中を狙うべきで、単に的のどこかに当たったというのは褒めるようなことじゃないと先生は言っている。ように感じる。身長2m超えの孔丘先生にそんなことを言われたら平伏するしかない。強い。

「正鵠」が最高得点だとするのなら、「的」は一歩ゆずる。孔丘先生的には十分な反省が必要なレベルだし、弓道の全国大会的にも反省ポイントになるんじゃなかろうか。

サッカーで例えるなら、「正鵠を得る」は「ゴールを決める」であり、「的を射る」は「シュートを打つ」くらいの範囲になるような気がしてくる。「的を射る」その心意気は買うけれども、できればもう少し的中範囲絞って正鵠を得ようぜ、と思う。あくまでも俺の中で、だが!

「的を射る」は的に当てるという意味も含むよ、ということならば、ぜひとも「的を得る」についても「当たりをゲットする」という意味も含めてほしいところ。

言葉の変遷

「まとをいる」よりも「まとをえる」のほうが言いやすい。ただそれだけの理由だ!

いや、それだけなんだけど、無視していいことじゃないと思うんだ。しかも「的を得る」には前述の孔丘先生のお墨付きもあるわけだし。

言葉は、基本的に言いやすいように変化していく。言いにくい表現は失われていくのが言語だ。

それでも正しい言い方、読み方に拘るべきという人ももちろん多いだろうけど、「新しい」を「あらたしい」とはもう誰も読まないことを少しだけ思い出してほしい。

英語的にも

英語話者がアーチェリーをやって的のど真ん中に的中させたら、「I got it !」というかもしれない。これは「やったぜ」くらいの意味だけど、「get」を「当たった」の意味で使う表現が英語にはある。ここの辞書の12番に書いてあるな。

だから「得る」でもいいんじゃねえかな!

という非常に乱暴な意見である。すまない。

そういうわけで

「的を得る」をそんなに目の敵にして攻撃しなくてもいいんじゃないかなぁ。

と思うんだよね。

的を得る/射るの応酬をみるにつけ、俺の脳の中に身長2.2mの孔丘先生が俺の肩に手を置き、圧倒的なオーラを醸し出しつつ「yajulよ、なぜ正鵠を狙わないのだ?」と胃にズシンとくる声で語る姿が再生されてしまうのだ。